当時の日本のニーズに合致したスパニッシュ・スタイル

 建築家は、料理長に少し似ています。大きな方針を決め、人を育て、任せるべき部分を委ねて、評価を自分が背負います。曾禰は国内で本格的な建築教育を受けた最初の人物の一人です。明治末には後輩の中條精一郎とともに、曾禰中條建築事務所を開設します。小笠原伯爵邸を設計するにあたり、多くの経験を重ねてきた建築家はスパニッシュ・スタイルを選択しました。当時、最もモダンなスタイルの一つです。

庭に面した外壁に施された、特徴的なタイル装飾
庭に面した外壁に施された、特徴的なタイル装飾

 なぜ、モダンと言えるのでしょうか? それは「スペイン様式」であるとはいえ、伝統的な形式にとらわれたものではないからです。このスタイルは1890年代から1920年代にかけて、アメリカ西海岸のカリフォルニア州を中心に流行し、「スパニッシュ・ミッション・スタイル」や「ミッション・リヴァイヴァル・スタイル」とも呼ばれます。ミッション(宣教)という言葉が入っていることから想像できるように、当地にかつて入植したスペイン人宣教師たちが残した建物の形を基にしています。

 当時のカリフォルニア州は人口が増え、ハリウッドの映画産業などの新たな文化が生まれつつありました。そこにスペイン風の建築が、それまでお手本とされていたイギリス風、フランス風、イタリア風とは異なる、新鮮なスタイルとして登場します。特徴として挙げられるのは、屋根に鮮やかな色彩のスペイン瓦を用いたり、壁を粗いスタッコ(石灰に大理石粉や粘土を混ぜて練ったもの)で仕上げることで装飾に頼らない味わいを出したり、壁で建物の内外をきっぱり分ける代わりに中庭や半屋外の空間を活用したりといった点です。

 こうした特徴がアメリカ西海岸のカラッと晴れた気候に似合い、東海岸とはまた違う文化圏であるという自負にも寄り添いました。素材そのものの性質を生かしていて、装飾にも空間にも工夫の余地が大きいことも、施主や建築家の創作意欲をかき立てた理由でしょう。人間の心身を中心に据えた自由度は、自分たちに合った洋風住宅を求めていた、当時の日本の事情にも適合していました。スパニッシュ・スタイルは、住宅を中心に1920〜30年代の日本にも広まります。