特別な日に訪れたいレストラン、忙しい時間を忘れてゆったり過ごせる雰囲気のいいカフェ…愛されるお店には、料理はもちろん、空間にも訪れる人を引き付ける魅力があります。「建築を知ることは、人生を豊かにする」と語る建築史家の倉方俊輔さんが、食欲と知的好奇心を刺激するスポットを厳選。バラエティー豊かな建築の味わい方を紹介します。

 近代の大阪を舞台に、さまざまな実業家が名を成しました。その一人が藤田伝三郎。長州藩の萩に生まれ、高杉晋作の奇兵隊に参加した後、1869(明治2)年ごろに大阪に移り、軍靴製造を皮切りに建設業や鉱山業、紡績業、鉄道業など多くの会社を興して、藤田財閥を築いた人物です。

 現在の太閤園淀川邸は、藤田伝三郎男爵が1910(明治43)年から14年にかけ、息子のために建てた邸宅です。玄関の唐破風(からはふ)は特に江戸時代、格式ある玄関に用いられた形です。それを継承しながら、奥行きをより長くすることで、洋館の車寄せと同じ役割が果たせるようにしています。明治時代に現れた形式です。

大きな唐破風が印象的な太閤園淀川邸の玄関
大きな唐破風が印象的な太閤園淀川邸の玄関

大都市の中に残る貴重な木造洋館

 玄関からすぐの場所にあるのが「藤の間」。邸内で唯一の洋室で、廊下に囲まれた中庭に独立した形で立っています。窓は縦長の上げ下げ窓で、天井には洋風のレリーフが施されています。以前はビリヤード台が置かれていました。応接のための部屋を、玄関からすぐのところに別棟で設けるのは、明治から大正にかけての洋館で広く見られたスタイル。外から眺めると、軒下も繊細に装飾されています。これは大都市の中にある、100年前の貴重な木造洋館なのです。

 廊下の先に「紹鴎(じょうおう)の間」があります。天井は木を縦横に組んで、中央部を少し高くした折り上げ格天井(ごうてんじょう)です。江戸時代は格式のある御殿や寺院だけに用いられました。木を巧みに用いた工芸性は、透かし彫りの欄間にも。どちら側に立っても、松の彫刻は細部まで見応えがあります。この部屋は和風に思えますが、完成した当時からテーブルを置き、食堂として使われていました。床の間が床よりずっと高いところにあるのは、そのため。椅子に座った際の目線に合うように工夫してあるのです。

邸内で唯一の洋室、「藤の間」
邸内で唯一の洋室、「藤の間」
「藤の間」は軒下にも繊細な装飾が
「藤の間」は軒下にも繊細な装飾が
床の間が高い位置にしつらえられた「紹鴎の間」
床の間が高い位置にしつらえられた「紹鴎の間」