「男だけのパーティーや組織は気持ち悪い」

 その後、Jリーグの初代チェアマンに就任した川淵氏は、男性ばかりだったJリーグアウォーズのような式典に初めて妻、家族、恋人を同伴するアカデミー賞方式を取り入れ、先述の通り、三屋さんなど当時は珍しい女性理事を迎え入れた。

 「もともと女性の能力に敬意を持っていたというのもあるけど、日本でその頃は当たり前だった、男だけの黒ずくめのパーティーとか組織って気持ち悪いじゃない」

 そして、2002年Jリーグチェアマン退任後、川淵氏は日本サッカー協会会長に就任する。

「切符代がない」女子サッカー選手の発言に仰天

 「サッカー協会の会長になって最初のサッカーの女子ワールドカップが2003年のアメリカ大会で、日本がアジア代表だから見に行ったんだ。予選でドイツと戦っても、もう圧倒的にスピードも体力も劣るんだよ。監督にも日本に帰ったら徹底的に体力強化の練習をやれと言ったんだけど、相当不平不満が出たらしいんだよね。

 そのとき僕は選手の話をあまり聞いたことがなかったから、全員を集めてね。僕に言いたいことがあったらなんでも言っていいよと言った。そうしたら、『福島で合宿するとき、行くための切符代がないから前借りできないか』と最初に聞かれてね。もうびっくりしちゃってさ。そうか、すぐにやるよと。とにかく自己負担ではなく手当や待遇面をまずはなんとかしなければと。少しでも役に立ちたいと思ったから、女房と一緒に合宿所に肉を差し入れに行ったりもした(笑)」

 Jリーグと異なり、彼女たちは自分を犠牲にしてここまで日本の女子サッカーを強くしてくれた。サッカー協会は何もしてこなかったと反省し、積極的に待遇面の改善に乗り出した川淵さんは、出産した選手の代表復帰も背中を押したのだという。