「三屋さんのバックでにらみを利かせる」と宣言

 「バスケ協会の古参の幹部たちは、僕のことも違う競技からの人間なんてけしからんと猛反発していたんですよ。でも競技の枠を超えて、ガバナンスをちゃんとできる人が組織の長になるべきなんです。Jリーグもそうしたし、バスケ協会もそこを変革すべきだと思って、企業経営のプロをはじめ別分野の人を理事に招き入れた。

 三屋さんも今『大変なことしかない』って言ってるけど、僕は応援しています。周囲の人には、院政を敷きますよと、三屋さんのバックでにらみを利かせているぞと宣言しています

 そもそもなぜ川淵氏はいち早くJリーグに女性理事を登用したり、女子スポーツの振興に尽力してきたりしたのだろうか。

 「1972年だったかな。FCジンナンという日本で初の女子サッカーのクラブチームが渋谷区で結成されたとき、僕は古河電工サッカー部の監督でね。当時、“女・釜本”と呼ばれた石川通子さんという選手がいたんだ。

 話を聞いたら練習する場所がないと言うんだよ。じゃ、古河電工の練習に参加していいよと。そうしたら男性の中でもそんなに見劣りせずサッカーをやるんだ。とても上手だったし、女性がサッカーをしてくれるのが純粋にうれしかったんだよね。それまで男しかいないスポーツで、男も女もやるスポーツはいいなと思っていたから。それが僕の女子サッカーとの初めての出合いだった」

取材は2021年11月中旬に行った
取材は2021年11月中旬に行った