キャスターとして第一線を走り続ける長野智子さんが今回話を聞いたのは、日本トップリーグ連携機構の川淵三郎会長です。2021年はいわゆる「森発言」後に注目を浴びましたが、実は長年にわたって女子スポーツ界をエンパワーしてきた川淵会長。東京五輪を終えた今の思い、日本初の女子プロサッカーリーグWEリーグに寄せる期待とは? 長野さんが迫ります。

(上)川淵会長「僕の世代が長く居座るのは、よくないんです」 ←今回はココ
(下)川淵会長「一度の失言で全否定する社会はどうなのか」

 なでしこJAPANの名付け親である川淵三郎氏は女子サッカーの振興のみならず、バスケットボール界を改革して東京五輪における女子バスケの銀メダル獲得に貢献するなど、長期にわたって女子スポーツの振興に力を注いできた。また日本バスケットボール協会会長をわずか一年で退任し、後継に元バレーボール選手の三屋裕子氏を指名したことも話題になった。川淵氏が女子スポーツ振興に取り組み、積極的に女性を起用してきたのはどんな思いからなのか。そして、そんな川淵氏が森喜朗元東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長による女性差別発言騒動をどう見ていたのかについても聞いてみた。

バスケ協会会長は1年で辞めるつもりだった

 「オリンピックでバスケットボール女子が銀メダルを取ったのは本当に夢のようだったね。直前にサッカー男子が銅メダルを逃して、男女ともにメダルを取れなかったことでがっくりして残念でね。その直後の女子バスケの銀メダルでしょう。個人的な感想になってしまって申し訳ないけど、うれしかったし精神的に救われました」

 銀メダル獲得の翌日、女子バスケ選手たちが日本バスケットボール協会前会長の川淵氏を訪問して直接報告。川淵氏が涙を流して喜んだこともニュースとなった。

 「いやそれは本当にうれしかったよ。最近涙もろくてすぐ泣くんだよ(笑)。『川淵さんは女子バスケのことを本当に心配してくれた』と。キャプテンの高田真希選手がどうしても僕にメダルをかけたかったと言ってくれてね。もう泣けましたね」

 2014年、日本バスケ界はリーグが分裂。それを問題視したFIBA(国際バスケットボール連盟)は、日本バスケ協会を国際資格停止処分にする。この制裁によってバスケ女子日本代表のリオ五輪出場も困難とみられていた。しかし、その窮地を救うために招かれた川淵氏は、日本バスケ協会会長に就任、その辣腕でバラバラのリーグを統一し、短期間でBリーグを創設。バスケ女子代表のリオ五輪出場を可能にしたという経緯がある。

「9月にスタートしたWEリーグに関しては、覚悟があるなら思い切りやりなさい。全面的に応援するよ、と初代チェアの岡島喜久子さんに言っています」
「9月にスタートしたWEリーグに関しては、覚悟があるなら思い切りやりなさい。全面的に応援するよ、と初代チェアの岡島喜久子さんに言っています」

 「会長職はもともと一年で辞めて、後継にバトンを渡そうと思っていた。僕のような世代があまり長くいてはよくないんですよ。三屋さんに最初は『名前だけでいいから』と副会長になってもらって、(三屋さんと同時に副会長に就任した)故・小野清子さんを後任で考えていたのだけど体調不良で難しくなってしまった。結局、三屋さんに強引に会長をお願いすることになってね。

 三屋さんはもともとJリーグ発足の頃に(1992年)、テレビ番組に出ていて。『Jリーグは地域に根差している点が良く、欧米並みの挑戦だしぜひ成功してほしい』とコメントしているのを見て、これはぜひにとJリーグ理事をお願いしたときからのご縁です」

 三屋さんは一般企業の社長や社外取締役も歴任していて、ただのアスリートとはものの見方が違うところがよいと川淵さんは指摘する。