今回は宇宙飛行士の野口聡一さんへのインタビューの後編です。2021年6月に帰国した野口さん。3回目の宇宙滞在となった今回は、一体どんな活動をし、何を見たのでしょうか。そして「野口さんが感じた宇宙」とは?

(上)野口聡一さんが宇宙からスマホに電話をくれた 長野智子
(下)宇宙から3度目の帰還 野口聡一さんが感じた闇の恐怖 ←今回はココ

野口聡一さん/1965年、神奈川県生まれ。96年、公募で宇宙飛行士候補に選出。2005年、国際宇宙ステーションで船外活動を行った初めての日本人となった。09~10年には約半年間の長期滞在。20年11月、民間の新型宇宙船「クルードラゴン」に搭乗し、米国フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた。21年5月に地球へ帰還。 <b>7月中旬、野口さんにオンライン取材を行った。右は長野さん</b>
野口聡一さん/1965年、神奈川県生まれ。96年、公募で宇宙飛行士候補に選出。2005年、国際宇宙ステーションで船外活動を行った初めての日本人となった。09~10年には約半年間の長期滞在。20年11月、民間の新型宇宙船「クルードラゴン」に搭乗し、米国フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた。21年5月に地球へ帰還。 7月中旬、野口さんにオンライン取材を行った。右は長野さん

4回目の船外活動で痛感「これまで僕は何を知っていたのか」

長野智子(以下、長野) (下)では、野口さんが今回行った船外活動についてもお聞きしていきます。今回、初めて国際宇宙ステーションの端まで行って活動をされたということですが。

野口聡一さん(以下、野口) その体験を言語化して表現するのは、私自身の課題であり限界でもあります。本当は長野さんみたいな言葉のプロに宇宙に行ってほしいのですが(笑)。

 私にとって4回目となる船外活動でした。これまでは、国際宇宙ステーションの中心部で活動をしていたので、弱い光とはいえヘッドライトでぼんやり照らされていて、なんとか(自分がつかまる)手すりが見えました。ところが今回は、手すりがない端の端まで行きました。手すりの端っこからそっと手をのばして、真っ暗で見えないところを抜けていくルートを通る作業です。船外活動の技能としては前回で十分達していたけど、端の端まで行って、目の前に反射するものが何もないというのは初めてでした。

船外活動の作業を行う野口さん(21年3月撮影)(C)JAXA/NASA
船外活動の作業を行う野口さん(21年3月撮影)(C)JAXA/NASA

野口 これまで僕は何を知っていたのか、と思ってしまった。それまで船外活動を3回、20時間はやっていて。分かったようなことを言ってきたんです。「45分おきに真っ昼間から真夜中になるよ」とか、「昼間は足下に地球が見えていて、国際宇宙ステーションが輝いて見える。夜になるとヘッドライトをして作業して、トンネルの中にいるみたいなものだ」とか。訓練で洞窟体験をイタリアのサルデーニャ島でやるのですが、「船外活動が洞窟体験に似ている」とか。

 でもそれらはあくまで反射するものがある世界です。国際宇宙ステーションでも人工物が見えたし、洞窟には壁や100m先にはうっすら光が見えていたり、足下50m下に地下水脈が見えたりするとか。何かがあるわけです。

 ところが今回、私の目の前は真っ暗で何もない。人工物も音も何も反射しない世界です。夜はこんなに暗くなるんだというのが最初の感覚でした。ふと、そうだ、下は昼だったはずだ、と視点を動かすと、下には光に満ちた地球がある。

 でもまた視線を元に戻すと深い闇です。命綱を付けているとは言っても、私と私の知っている外部世界とつなぐのは(手すりをつまむ)2本の指先だけで、そこから離れると漆黒の世界に飲み込まれてしまいそうで、飲み込まれたら誰も気づかれないでひっそり死んでいくのか、とか。

 恐れと言えば恐れなのかもしれないけど、「絶対無」に対峙したときの自分の存在の小ささ、言うまでもなく自分は小さな存在だけど、絶対的な虚無の世界に対峙して、自分は無限小(注:限りなく小さいこと。無限大の反意語)だな、と。辛うじて触れている親指と人さし指、この2点にすべての自我が凝縮される感覚でした。