20年以上、キャスターとして第一線を走り続ける長野智子さんの新連載が始まります。日本や世界のニュースの当事者に、長野さんがマイクを向ける……のではなく、ぐいぐい斬り込み、筆を執ります。本編がスタートする前に、まずは、長野さんがどんな人生を送ってきたか、いま考えていることに迫りました。

(上)キャスター卒業の理由、悩み苦しんだ不妊治療
(下)報道人として、私が「現場」にこだわる理由 ←今回はココ

「9.11」で知った現場に立つことの大切さ

編集部(以下、略) 前回(『長野智子 キャスター卒業の理由、悩み苦しんだ不妊治療』)は20年間務めたテレビ報道キャスターを降板したいきさつと、10年間の不妊治療の壮絶な体験をお聞きしましたが、今は表情がとても晴れやかに見えます。

長野智子(以下、長野) もちろん、キャスター降板の話には動揺しましたけど、報道キャスターも不妊治療もできることはすべてやりきったという思いがあるから、すがすがしい気持ちでいられるのかもしれません。2012年、「妹たちへ」(日経WOMAN連載)の取材の最後に「最近は『自分と仕事』から『自分と社会』という、これまでは見えなかった景色も見えてきました」と答えていました。キャスターを卒業して半年、これまで以上に「自分と社会」という枠でこれからの人生を捉えていますね。

 「小さな声を拾う」あるいは「埋もれている声を掘り起こす」という私の信念の発信場所は、何もテレビ番組じゃなくてもいい。デバイスが多様化している今、方法はいくらでもあります。最近は紙媒体、Webメディア、ラジオなどからもお声がけいただくようになりました。クラブハウスも活用しています。「若者は政治に興味がない」と言われていますが、(音声SNSの)クラブハウスで若い人たちと議論してみると、政治のことをもっと知りたいという気持ちがビンビン伝わってきます。見てくれないのではなく、彼らが理解しやすいような伝え方をしてこなかったのかもしれない。今、私も反省させられています。

「キャスターを卒業して半年、これまで以上に『自分と社会』という枠でこれからの人生を捉えています」
「キャスターを卒業して半年、これまで以上に『自分と社会』という枠でこれからの人生を捉えています」

―― 長野さんは国際紛争から自然災害、冤罪(えんざい)事件、あるいは街ネタまで幅広く現場を取材しています。行動の源にあるのは何ですか。

長野 好奇心でしょうか。それと現場が大好きなんです。現場に足を運ぶことで、本や資料では分からなかったことが見つかることがたくさんありますからね。

 初めて番組を仕切るメインキャスターになったのが、「報道ステーションSUNDAY」。2011年秋、47歳の時でした。私はそれまで取材で飛び回っていたので、メインキャスターになっても現場に行きたくて仕方なかった。それでプロデューサーに「言葉に説得性を持たせたいから現場に行きたい」と言うと「長野さんの今の現場はスタジオ。生放送の番組を進行しまとめるのが今のあなたの仕事です」と説得され、なるほどと(笑)。それでも年に数回、海外取材に行かせていただきました。

 現場を知る必要性を強く感じたのは「ザ・スクープ」のキャスターになって1年後。米国で2001年9月11日に同時多発テロ事件が起きたときです。すぐに米国に行くつもりだったけどマンハッタンが封鎖されてしまったこともあり、メインキャスターの鳥越俊太郎さんから「長野さん、中東に飛んで」と言われて。日本では米国発のニュースばかりが流れ、テロリスト許すまじ、報復攻撃をという内容が伝えられていましたけど、米国だけが正義なのか、中東政策に問題はなかったのか、という疑問を鳥越さんが抱いたために出された指示でした。