つらい不妊治療、現場で倒れたことも

長野 商社勤務の夫の赴任先であるニューヨークに行ったのは32歳の時。ニューヨーク大学大学院でメディア環境学を専攻しながらフジテレビの現地リポーターなどをしていましたが、この頃はまだ自然に子どもを授かると信じていました。

 37歳の時に転機が訪れました。鳥越俊太郎さんがキャスターを務める伝説の報道番組「ザ・スクープ」からキャスターにならないかとお声がけをいただいたんです。子どもが欲しかったし一人で帰国するのはとまどいがあったのですが、夫からは「報道番組はあなたの夢でしょ。なんのために大学院で苦労してジャーナリズムを学んだの」と背中を押され帰国しました。

 報道現場はまさに戦場。出張の荷物もほどかないうちにまた違う現場へ。そんな毎日を送っていましたが、1年後に夫が帰国。不妊治療にはいろんな段階があるんですけど、40歳目前になってこれは本腰を入れなければと思い、本格的に体外受精の治療を始めました。

報道キャスターとして現場に立ち続ける一方で、つらい不妊治療にも取り組んでいた
報道キャスターとして現場に立ち続ける一方で、つらい不妊治療にも取り組んでいた

長野 体外受精には排卵誘発剤の注射が欠かせません。毎日病院に行く時間がないので、自分で注射を打っていました。そして採卵となると、これが歩けないほどの痛みなんです。痛み止めを飲みながら現場でリポートするという日々を重ねていました。

 そのうち、徐々に体が悲鳴を上げるようになった。平均すると月2回は海外出張があったのですが、それまで全く平気だった飛行機に乗った途端に過呼吸の症状が出ることも。そのうち毎晩夜中に過呼吸で跳び起きるようになりました。でも、やっと手にした報道キャスターの仕事だったので誰にも相談できず、じっと耐えていたんです。

 だけどなかなか着床しない……。すると、(着床する)チャンスの時にあの仕事を入れたからダメだったんだ、とか、こんな仕事をしたから治療に失敗したんだとか、自分で自分を責め始めたんです。

―― 仕事を休むという選択肢はなかったんですか。