2019年夏、米国ポートランドに家族で移住した松原佳代さんは、その半年後にロックダウンや子どもの学校の一斉休校など、コロナ禍の波にのみ込まれてしまいました。慣れない土地、言葉もままならない環境での非常事態の中で、いかに心の平常を保つのか。それは松原さんにとって大きなテーマであったようです。ワクチン接種も始まり、明るい兆しが見えてきた今、この1年間の葛藤を振り返ります。

 日本で言うところの緊急事態宣言である、オレゴンの「STAY HOME」、かつ一斉休校から丸1年が経過する。ポートランドでは、1年間ひたすら緊急事態宣言が続くような生活を送った。移住して半年で訪れたコロナ禍、その後1年間がこんな暮らしになろうとは……。

 今、日本ではClubhouseという、降って湧いた雑談ツールの音声SNSアプリに熱狂する人々が毎朝毎晩集っているが、それほどに、正解のないこの日々への鬱屈と、雑談ができないための孤独感が募っていたのだろうか。それは私も例外ではない。

 この非日常な1年間、どうやって心の平常を保ってきたっけ? ということを考えてみたい。

この連載を始めた1年ほど前は桜の季節。先日梅が咲いた。非日常の季節が一巡する
この連載を始めた1年ほど前は桜の季節。先日梅が咲いた。非日常の季節が一巡する

この1年間、私を悩ませた2つのこと

 先日雑誌『AERA』の取材を受けた。昨年7月に京都大学主催の公開講座「立ち止まって、考える」に、ポートランドからオンライン参加した。この講座は科学でも医学でも公衆衛生学でもなく、人文科学の教授陣が行ったものだった。取材では、なぜ聞き、ここで何を学びたかったのかを問われた。ここで問いをもらったことが、今回の「心の平常の保ち方」を考えるきっかけとなった。

 まず、こういうものをポートランドにいても見聞きできることは、このインターネット時代のなせる業だと思う。20年前に海外に移住、留学した人は、さぞかし日本国内の情報を得るのに苦労しただろう。だが、海外にいても、いや国内のどこにいても、たくさんのメディアやSNSを通じて離れた場所の情報を知ることができることは、便利な半面、私たちの心に波風を立てる原因にもなっていそうだ。

 2020年はインターネットから、さまざまな情報、さまざまな人の感情が押し寄せた。一方でリアルな暮らしの現場においては、一人ひとり、家庭ごとの考え方の違いを探り合うコミュニケーションが増えた。家庭によって感染や予防への考え方はさまざまだからだ。

 私はポートランドという日本から離れた地に住んでいたがために、このオンラインで流れてくる(日本の)情報のうねりにさらされ、踊らされる機会は多く、言語の壁によるコミュニケーション難度の高さをより強く体験することになった。