多くの人がいつかは向き合う介護。一人ひとり状況も悩みごとも違っても、話をしたり聞いたりすることで心が軽くなることも。読者の実際の体験や思いを聞き、専門家にコメントをもらいます。今回体験を話してくれた尚美さんは、17年前に脳腫瘍の手術をした夫の様子を「何かおかしい」と感じながら、その原因が分からないまま夫と両親や義父母のサポートを一手に担い続けました。夫の変容の原因は何だったのでしょうか。

(上)脳腫瘍の手術後に性格が変わった夫 感じた違和感の正体 ←今回はココ
(下)残された時間が短い夫の介護と自分の人生 葛藤した日々

尚美さん(仮名) 47歳 フリーランス 夫と東京都内で2人暮らし 大学生の娘は独立
17年前に夫が脳腫瘍を発症、手術後に高次脳機能障害になるが、3年前に診断されるまで夫の不調や性格変異の理由は分からなかった。その間に父や義父母が相次いで入院。夫は2年前に脳腫瘍が再発し余命宣告を受ける。現在夫は要介護度1で、自宅で介護中

介護のはじまり

旅先でてんかんの発作、夫に脳腫瘍が見つかった

 介護といっても、私の場合は一般的な介護とは少し違うかもしれません。

 はじまりは17年前、結婚4年目で子どもがまだ1歳でした。家族で旅行をしているとき、夫が車を運転中に「何かおかしいから運転を代わって」と言い出し、近くのガソリンスタンドで車から降りた瞬間に倒れ、てんかんの発作が起きました。

 私は病院で薬剤師の仕事をしていて、少しは病気に関する知識もあったので、脳腫瘍かもしれないと感じました。病院で頭部のMRIを撮ったところ、脳に腫瘍が見つかりました。長い時間をかけて少しずつ大きくなっていたようです。

 実は、夫が倒れたその日に、私の父がパーキンソン病の診断を受けていたんです。実家は両親と祖母の3人暮らし。病気に関する知識は家族の中で私が一番持っていたので、当然、両親は私を頼りにします。看病をしながら脳腫瘍とパーキンソン病のことを調べ、家族にかみ砕いて説明し、全員の精神的なケアにも当たる日々でした

 夫は脳腫瘍専門の病院で3回に分けて手術しました。夫が倒れたのは3月。自分自身の転職も控え、娘が保育園に入れるか不安なタイミング。4月に入園できることにはなったもののそれまでは預かってもらえないし、入院に加えて入園準備もあって息つく間もない日々でした。

脳手術の後遺症? 私だけが感じる違和感

 手術後、夫は意志の疎通が取れなくなったり、私の名前が分からなくなったりしていました。脳梗塞のような傾向もみられ、色々な治療が行われました。幸いピークを越えるとみるみる回復し、身体的な後遺症もありませんでした。脳の手術のことは本人の記憶にはあまり残っていないようで、放射線治療や抗がん剤治療が終わって11月に何事もなかったように退院しました。

 日常生活に戻っても、夫には漢字を読めても書けないという症状が残りました。本人は病気の自覚がないので「漢字を思い出せないことくらい誰にでもあるでしょ」と気にしない様子で、早々に職場に復帰したので、私もさほど気にせず新しい職場に就職して仕事を再開しました。

 しかし、日を追うごとに私は夫の様子を「何か違う」と思っていました。突然怒り出したり、私の意見に対して激しくダメ出ししたりします。医師からも後遺症の説明はなく、違和感が続いていました。

 そのうち、パーキンソン病の父と高齢の祖母を自宅で老老介護していた母に介護うつの症状が出てきたので、そちらのほうが気になり始めました。

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