多くの人がいつかは向き合う介護。一人ひとり状況や悩みごとが違っても、話をしたり聞いたりすることで心が軽くなることも。読者の実際の体験や思いを聞きます。フリーランスの亜希子さんは1人暮らし。実家で2人で暮らす両親の生活は父の病気でバランスを失います。仕事をセーブしながらの介護は大きな負担に。母が自宅で熱中症になったことを機に、スマートホーム化を決意します。

(上)足の悪い母が自宅で転倒 半日以上気づかず熱中症で搬送 ←今回はココ
下)認知症の母が暮らす実家 スマートホーム化で遠隔見守り

和田亜希子さん 52歳 自営業
神奈川県横浜市にあるシェアハウスで暮らす。独身。2021年に父が亡くなったあとは、千葉県の実家で水頭症と軽度認知症を患う母が猫と暮らす。母は要介護度3。きょうだいはいないため、横浜の自宅と千葉の実家を行ったり来たりしながら介護と見守りを続ける。

介護のはじまり

父の入院で崩れた両親2人だけの暮らし

家事を一手に担当する父が悪性リンパ種に

 私は、大学卒業を機に実家を離れ、現在は横浜のシェアハウスで暮らしています。実家で両親が2人暮らしをしていましたが、母はもともと足腰に持病を抱えて外を歩き回るのは難しい状態なので、買い物や家事は父が担当していました。

 父が17年に悪性リンパ腫を発症。発病後は、私が月1回ペースで実家に戻ってサポートしていました。父のがんは難治性でしたが、進行がゆるやかで、入退院しながらも自宅で普通に生活できる期間も多かったんです。

 ただ、そのうちコロナ禍が始まり、20年に入ってからは持病を抱えた両親のいる実家を訪れるのは高リスクに。この頃はほとんど実家には行かず、こまめに電話で両親の状況を確認するしかありませんでした。父の容態が一気に悪化したのは、21年の春です。

在宅療養中の父(左)。入院中は父の病室に泊まり込んで仕事をしていた(右)
在宅療養中の父(左)。入院中は父の病室に泊まり込んで仕事をしていた(右)

自宅―実家―病院。3カ所の移動に費やされる時間

 父が入院した4月から本格的な介護生活がスタートしました。横浜の自宅と、実家と病院を行き来する日々です。父の入院した病院は実家から車で40分ほどの場所にあります。入院中は、ほぼ病院と実家の往復で時間を費やしました。私は車の運転をしないので、愛車のバイクか、1時間に1本程度のバスで行くしかありません。

 付き添いで病院に泊まり込むことも多く、その間母が実家で1人になるので、食事の宅配サービスや生協の宅配を使ったり、食事の作り置きをしたりして、なんとか乗り切りました。残念ながら、母の世話を頼めるようなお付き合いのあるご近所もほとんどいませんでした。

 今、思い返すと、父が入院している病院のソーシャルワーカーに相談して、母も入院させてもらえばよかったんですよね。そうすれば、私も病院で父と母の両方のケアができたはずです。でも、当時はとにかくいっぱいいっぱいで、そんなことを思いつく余裕もありませんでした。

 私はフリーランスでWebサイトの企画・運営やライターの仕事などをしていますが、父の発症後はかなり仕事をセーブ。新規案件の受注は控えて、運営しているミニサイトからのアフェリエイト収入と、ときどき期間限定のアルバイトをするという感じに。仕事をセーブすることによる経済的な不安は常に感じていました。

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