多くの人がいつかは向き合う介護。一人ひとり状況も悩みごとも違っても、話をしたり聞いたりすることで心が軽くなることも。読者の実際の体験や思いを聞き、専門家にコメントをもらいます。障害者となった母を長年支えてくれた母の再婚相手と、母亡き後も二世帯住宅で同居中の恭子さん。今後の介護について考えているそうです。

恭子さん(仮名) 52歳 介護支援専門員
千葉県で82歳の父と、2人の息子とともに二世帯住宅で生活。夫とは離婚、長男は独立している。31年前に事故で身体障害者となった母が要介護5で5年前に他界。残された父は、体は元気だが精神的に弱って要支援1に。

介護のはじまり

事故で身体障害者となった母の介護

事故で障害者となった母を支えてくれた継父

 私の母は、私が21歳、母が52歳のとき交通事故に遭い、左手機能全廃、両足骨折の大けがをしました。脊髄損傷があって、それ以来30年間激しい痛みとともに過ごしてきました。

 事故から1年くらいで退院して自宅で生活できるようにはなり、再婚相手である父と一緒に暮らしていましたが、私の1人目の子どもが3歳の頃、二世帯住宅を購入して同居するようになりました。

 母はいつも前向きで、事故で顔もかなりひどく切っていたのですが、形成手術を何度か受けておしゃれも楽しんでいました。左手は全く動きませんが、右手だけで餃子を作るなど自分にできることは何でもやってみる人でした。

 2種2級の身体障害者になり、飛行機でもサポートしてもらって車椅子で海外旅行をしたり、歌舞伎を見に行ったりもしました。

明るく前向きな母は車椅子でも活動的。父は早期退職してサポートしてくれました(写真はイメージ)
明るく前向きな母は車椅子でも活動的。父は早期退職してサポートしてくれました(写真はイメージ)

 2人目、3人目が生まれて、当時私が専業主婦であったことから、母の世話をギリギリまで家族で頑張ってやっていました。

 家族でお風呂に入れていましたが、ある朝、父が母を背負ってお風呂に運んでいる姿を見て、これはプロにサポートをしてもらわないといけないと思いました。当時は介護の制度が今ほど充実しておらず、ケアマネジャーを探すのも一苦労です。行政でつないでくれないので、介護サービスの事業者に1軒ずつ電話をかけて交渉する必要がありました。

 介護保険の申請をしたら最初は要介護2に。手すりがあれば歩ける状況でしたので、家の中に手すりを付けて、介護ベッドも入れました。

 母は年齢とともに体の機能が低下し、お風呂で何度か転倒してそのたびに要介護度が上がりました。一番下の子が幼稚園に入ったので、私は昼間に勉強してホームヘルパーの資格を取りました。あくまで母の介護が目的で、仕事にしようとは思っていませんでした。

 要介護4になってから訪問入浴介護の利用も開始。母は他人にお風呂の世話をしてもらうことを最初だけは嫌がったのですが、すぐに慣れて楽しみにするようになりました。お風呂は体を清潔にしたり、血行をよくするだけでなく、精神的にもとても大事だと思います。

 2世帯で家計は完全に分けていて、介護費用は両親の年金でまかなえていたようです。母は要介護5になり、訪問入浴や訪問診療、ヘルパーによる身体介護と薬剤師の訪問サービスを利用していました。また、介護保険適用外ですが、自治体からの介護タクシー利用料金の補助を受け、訪問理美容(ヘアカット)のサービスも利用していました。

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