多くの⼈がいつかは向き合う介護。一人ひとり状況も悩みごとも違っても、話をしたり聞いたりすることで心が軽くなることも。読者の実際の体験や思いを聞き、専門家にコメントをもらいます。小さい子どもを育てながら部長職をこなすまきこさんの日常は、母の発病で一変します。兄も夫もそれぞれ会社を経営する多忙な家族は、マネジメントスキルを生かして介護に向き合います。

(上)母の余命宣告 気持ちを隠し「普段通り」接すると決めた ←今回はココ
(下)施設で最期の面会やオンライン葬儀も大事なグリーフケア

まきこさん(仮名) 41歳 会社員
東京都内で夫と5歳の子どもと3人で生活。母が腎臓病を発病、その後肺がんにかかり脳への転移が見つかる。短期の入院を繰り返しながら、都内の実家で在宅療養を続けていた。兄が母と同居していたが多忙のため、介護サービスをフル活用してチームで介護を行う。

介護のはじまり

母の肺がん発症と脳への転移

 2019年夏に76歳だった母が腎臓病で倒れ、定期的に通院治療をしていたところ、12月に肺がんが見つかりました。ステージ3で手術はできない状況でしたので、3週間おきに入院して抗がん剤治療を始めました。

 腎臓病で倒れた時点で、これから何が起きるか分からないと思いましたが、介護の予備知識もなかったのでまずは区役所に相談しに行き、地域包括支援センターに行くように教えてもらいました。そこから情報を集めて介護保険の申請をし、要支援1に認定されました。

 母が住む区では、自宅の改修などで介護保険の補助に加え最大20万円の補助金が出ます。「私は介護なんていらない」と申請を渋る母に、「要支援1が取れるとお風呂のリフォームができるから申請してもいいかな」と持ちかけて、リフォームというワクワクするイベントと組み合わせて承知してもらいました。

 肺がんの人の50~60%はがんが脳転移するそうで、20年8月に脳にがんが転移していることが分かりました。脳はガンマナイフの照射で治療し、肺がんも抗がん剤が効いたようで、画像診断上ではがんはほとんど見えなくなったのですが、がん細胞が完全になくなったわけではないので、安心はできません。

 脳転移が分かってから母はうつ状態になり、食欲も落ちて通院以外は家から一歩も出なくなりました。

 同居している兄は在宅ワークでしたが企業経営をしており多忙で、自室でずっと仕事しています。母はがんの脳転移によるてんかんの発作で転倒したらどうしようという不安にさいなまれてしまったようです。

 私は実家に自転車で行ける距離で夫と子どもと暮らしており、フルタイムで働いています。母の介護は介護保険サービスと保険対象外のサービスをフルに活用しました。当初はヘルパー、訪問看護師、それに12年に父が他界して以降来てもらっていた家政婦の3人で体制を組んでいました。脳転移が分かってからはヘルパーさんに投薬管理をお願いし始めました。

母が倒れたとき子どもはまだ小さく、部長職と子育てと介護をどのように両立するか、体制を整えるのに必死でした(写真はイメージ)
母が倒れたとき子どもはまだ小さく、部長職と子育てと介護をどのように両立するか、体制を整えるのに必死でした(写真はイメージ)
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