多くの人がいつかは向き合う介護。一人ひとり状況や悩みごとは違っても、話をしたり聞いたりすることで心が軽くなることも。読者の実際の体験や思いを聞き、専門家にコメントをもらいます。余命2カ月と宣告された母を、会社経営をしながら妹や父と協力して穏やかな日常の中で見送ることができた丹後佳代さん。突然やってきた母との最期の日々での心の葛藤について話してくれました。

(上)余命宣告から見つめた母との時 食べることは生きること
(下)介護より仕事を選択する娘の自分は非情か 葛藤した日々 ←今回はココ

丹後佳代さん 41歳 会社経営
愛媛県今治市で夫と2人の子どもと4人暮らし。車で15分程度の距離にある実家で父と2人暮らししていた母が突然白血病を発症、介護を引き受けてくれた妹とともに母をサポートすることに。

事前に知っておきたかったこと、準備してよかったこと

突然の余命2カ月宣言。介護保険が使えない

民間の保険に加入していたので、介護保険制度を使わず医療費をカバー

 退院後も母は自分で歩けるし、食事もできる状態だったこともあり、選択できるサービスがなく介護保険の申請はしませんでした。母に残された時間はたった2カ月でしたし。せっかくの制度も使えないことがあるのだなと思いました。

 私は以前から保険の仕事をしてきたこともあり、母に対してがん保険に加入していました。仕事と子育てで母に助けてもらわないと成り立たない生活をしてきたので、母に何かがあったときに時間を差し出すことはできないと思っていたからです。おかげで介護保険が使えなくても、治療や介護にかかる費用をまかなうことができました。

 一般的に、家長であるお父さんに手厚い保険をかけることが多いですが、実際にはお母さんが倒れたときのダメージも大きいので、お母さんもしっかり保険に加入することは大事だと思います。

 保険の存在意義は治療の選択肢を増やすことだと私は思っていました。家族が病気になったとき、お金があることで治療の可能性を本人に見せることができ、そこから選択できるのだと、今回改めて思いを強くしました。

 母の病気が分かる少し前に『あした死ぬかもよ?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を読んで、「1番大事な人とどんな頻度でどんなふうに会っているか」を振り返るワークをしていました。残りの人生で母と一緒に過ごす時間を平均寿命で計算すると、トータル2カ月分の時間だったんです。その2カ月を大事に過ごそうと思っていたので、余命2カ月と聞いて、イメージができました。子どもたちにも母の病状も全部話して介護の様子も全部見せました。

 母と過ごした最期の日々、病気になったから、残された時間が短いから大事なんじゃなく、最初から大事だったと気づかせてくれました。だから、3年後にやろうと思っていたことを今やろうと、いろいろ取り組み始めています。

家族一緒に、日常の中に介護がある穏やかな日々を過ごしました(写真はイメージ)
家族一緒に、日常の中に介護がある穏やかな日々を過ごしました(写真はイメージ)
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