多くの人がいつかは向き合う介護。一人ひとり状況や悩みごとは違っても、話をしたり聞いたりすることで心が軽くなることも。読者の実際の体験や思いを聞き、専門家にコメントをもらいます。今回体験を話してくれたのは、今治の老舗タオル会社を事業承継し、黒字化させた経営者、丹後佳代さんです。多忙な仕事を支えてくれた母がいきなり余命宣告を受けます。何ができるか、どうすればいいのか、家族でしっかり話し合うことから始まりました。

(上)余命宣告から見つめた母との時 食べることは生きること ←今回はココ
(下)介護より仕事を選択する娘の自分は非情か 葛藤した日々

丹後佳代さん 41歳 会社経営
愛媛県今治市で夫と2人の子どもと4人暮らし。車で15分程度の距離にある実家で父と2人暮らししていた母が突然白血病を発症、介護を引き受けてくれた妹とともに母をサポートすることに。

介護のはじまり

母の突然の白血病発症、そして余命宣告

余命2カ月! 治療方針の選択に与えられた時間は15分

 母が「何か調子が悪い」と言い始めたのは2021年3月です。私も妹も子育て中、特に私は会社経営の仕事もあり、子育ては母に頼っていました。それまで特に持病もなかった母が元気でいることが当たり前だと思っていたのです。

 体がだるいという訴えのほかに、肌に赤い斑点ができていて、看護師だった妹が何かおかしいと気づきました。病院に行ったもののなかなか原因が分からず、あちこちの病院を回って検査したところ、「アグレッシブNK細胞性白血病」だと診断されました。とてもまれな病気で、担当医もほとんど症例を見たことがないそうです。とても進行が早い病気で、余命2カ月と言われました

 病院から「明日入院してください。明日本人に宣告します」と言われ、母には「病気が分かったから聞きに行こう。一応入院の準備もしようね」と言って病院に連れて行きました。楽しい気分で病院に行ってもらおうと、子どもも学校を休ませて、みんなで向かいました。

 医師から母に淡々と病名を伝えられ「余命は2カ月です。すぐに対処を始めたいので、15分時間を取りますから治療方針を選択してください」と言われました。

 完治させる治療法はなく、選択肢は3つ。1つは骨髄移植。これは72歳の母にとってはリスクが高い。2つ目は投薬による新しい治療法を試す。3つ目は何もしない。こんな重要な選択を、たった15分間で決めなければなりませんでした。

 母が最初に選んだのは何もしないこと。「私は十分生きた」と言うのです。母は多分そう言うだろうなと私たちも思っていました。治療にはお金がかかるし、私たちに迷惑をかけたくないと母は考えたと思います。でも、母の言葉を聞いたとき、それでも母に生きていてほしい、できることがあるならどんなことをしても生きてほしいと思い、私の正直な気持ちを伝えました。

 治療してほしいというのは私のエゴかもしれません。治療することで母の体力は落ちるかもしれないし、コロナ禍で入院すれば簡単には会えなくなります。それぞれの思いを話し合い、最終的に母は治療を試してみるという選択をしました。

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