新卒で旧NOVAに入社し、経営破綻に直面。その後も新NOVAで働き続け、生え抜きで社長にまで上り詰めた隈井恭子さん。でも、「出世欲はまるでない」と、本人は至って自然体で肩に力が入っていない。隈井さんのキャリア道とは? 転職、独立が当たり前になった世の中で、なぜ「一本道のキャリア」を歩み続けているのか? 盛りだくさんのエピソードをギュッと濃縮した全3回シリーズでお届けします。第1回は、旧NOVAで体験した、会社倒産という衝撃の出来事をどう乗り越えたのかについての話です。

(1)新卒入社で会社が倒産の壮絶体験 ←今回はココ
(2)倒産して企業として何が一番重要か知った
(3)社長になって自分の限界振り切れた

出世したいなんて、少しも思っていなかった

―― 社員から、社長にまで上り詰めた隈井さんですが、どのようにキャリアを積んだのでしょうか?

隈井恭子さん(以下、敬称略) 「キャリアを積む」ですか……? 私自身、キャリアを積んだ感覚が全くないのです(笑)。もともと「キャリアアップしたい」とか「出世したい」とか、一切考えたことがありませんでした。目の前の仕事に必死で取り組んでいたら、いつの間にか役職が上がっていった感じで。まさか自分が社長になるなんて、思ってもみませんでした。

―― ますます隈井さんのキャリア道に興味が引かれますが、英会話教室を手掛ける旧NOVAに入ろうと思ったのはなぜですか?

隈井 両親ともに生粋の日本人で海外経験はないのですが、子どもの頃に英会話教室に通わせてくれたんです。小さい頃から英語に触れていたからか、自然と学校でも得意科目になって、大学で英語の教員免許を取りました。そこから、「将来は英語教育に携わる仕事ができたらいいな」と思うようになったのが、この業界を目指したきっかけです。

 NOVAを志望したのは、会社説明会に行った際に、女性社員が生き生きと働いている印象があったから。女性の管理職も多く、そういう会社は当時まだ珍しかったので、「面白い仕事がいっぱいできそう」と可能性を感じたんでしょうね。

新人時代から店舗運営を担い、入社5年目には複数の校舎を統括する関西のエリアマネジャーになるなど、充実した社会人生活を送っていた。「まさか徐々に経営が悪化していったとは……その頃は全く気づきませんでした」
新人時代から店舗運営を担い、入社5年目には複数の校舎を統括する関西のエリアマネジャーになるなど、充実した社会人生活を送っていた。「まさか徐々に経営が悪化していったとは……その頃は全く気づきませんでした」

―― 実際に職場に入られてみて、いかがでしたか?

隈井 思った通り、活気があって、伸び伸びと働けました。京都出身なので、最初に京都の校舎に配属されたんですが、マネジャーがしばらく入院することになって、配属になった新卒3人で校舎を運営することになったんです。右も左も分からない中、受講生の募集や新規入会の手続きをするなど、手探りで必死に対応しました。でも、新人だけだったので部活の延長みたいで、毎日とても楽しくて。もちろん事務処理など不十分な点も多かったので、マネジャーが帰ってきたときに叱られましたけど(笑)。

―― なかなかパンチのある社会人スタートですね。そこからどんなキャリアを?

隈井 スタッフから、校舎を運営するマネジャーになって、入社5年目には複数の校舎を統括する関西のエリアマネジャーになりました。旧NOVAでは、新規入会の売り上げ目標が月3回設けられていて、毎回目標をクリアするのが大変だったんです。でも、スタッフ同士「皆で達成していこう!」という前向きな雰囲気があったので、校舎自体は活気に満ちていました。まさか徐々に経営が悪化していったとは……その頃は全く気づきませんでした。

次ページからNOVAで隈井さんが社長にまで上り詰める軌跡を公開します。