古くからの仏教用語「忘己利他(もうこりた)」としての意味に限らず、近年ビジネスや環境などさまざまな分野に広がっている利他の概念。社会の課題解決につながるキーワードとして注目される一方で、人や使われ方によっても解釈が異なり、簡潔に定義できない難しさがあります。利他をテーマに研究活動を行う美学者の伊藤亜紗さんに、利他の本質について深く聞いた本連載。最終回では、「利他が生まれる場」に大切なことを事例から学びます。

(1)伊藤亜紗が考える「利他」の本質 ギフトは毒にもなる
(2)実績を積んだ50代が「利他的キャリア」に引かれる理由
(3)「困っている人を助ける」の選別で善意が届きにくくなる ←今回はココ

編集部(以下、略) 伊藤さんがセンター長を務める東京工業大学未来の人類研究センターが2022年3月に開催した「利他学会議vol.2」では、ITや食、移民、菌など国内外の異なる現場の視点から、利他との接点や利他が生まれる場について考えました。利他があり続ける場をつくるには、何らかのルールが必要なのでしょうか。

伊藤亜紗さん(以下、伊藤) ルールというより、「仕組み」は大切ですね。人の行動をデザインする、つまり、誰かの行動を縛ることなく本人や社会をよりよくする行動が引き出せるような環境を整えていくことで、利他は起こりやすくなると考えています。

―― 利他学会議では、利他が生まれる場の事例の1つとして、東京都千代田区にある飲食店・未来食堂が紹介されていましたね。

伊藤 未来食堂 店主の小林せかいさんの話は面白かったですよね。小林さんはITエンジニアとしてキャリアを積んだ後、“誰もが受け入れられる場所”を求めて食堂を開業し、「まかない」「ただめし」(※)などのユニークな仕組みをつくっています。

※まかない=未来食堂で50分間の手伝い(予約制)をすると、1食分が無料になる「ただめし券」がもらえる。券は自分で使ってもいいが、別の誰かに譲りたい場合は店舗入り口の壁に貼っておくと、誰でも使うことができる(=ただめし)

 小林さんは、ただめしは困っている人が食べてもいいし、困っていない人が食べてもいいといっていて、受け取る対象を「困っているから」「常連客だったから」「知り合いだから」などの条件で縛っていません。“困っている人”を前面に押し出して目的化しないけれど、食べられない事情のある人たちが利用できるシステムをその場に置いておく。間口を広くし、フラットな関係性で顧客を受け入れる独自の体制があります。

善意を受ける人の心理的負担を軽くするには

伊藤 利他というと、「困っている人を助ける」というふうに与える側は受け取る側を感情や条件で選別しがちです。それを否定はしませんが、与える側・与えられる側と役割が固定されていくのは、相手に返さなければいけないという義務感をつくり出し、受け取ることを難しくします。善意を匿名で受け渡しし、その人が助けられる権利を持っているかどうかという視点から離れる未来食堂の仕組みは利他的だと思います。

 その上で、「ただめし券」に書かれている断り書きが興味深いんです。最新の「ただめし券」には、1人での来店に限る、追加注文不可、持ち帰り不可という3つの使用条件があり、「善意は有限です」と目立つ位置に書かれています。間口を広げることで生まれる悪乗り的な使われ方を、ある程度防ぐ仕組みをつくるのも大事です。

「未来食堂では受け取る相手に細かいことは問わない。困っていたら、ここに『ただめし』があって助けるよというメッセージだけを出しています。お店はフリーライダー(対価を支払わず利益を得る人)がいても、赤字にならない仕組みをつくっていて、こうした仕組みがあることによって人の行動も変わると思います」(伊藤さん)
「未来食堂では受け取る相手に細かいことは問わない。困っていたら、ここに『ただめし』があって助けるよというメッセージだけを出しています。お店はフリーライダー(対価を支払わず利益を得る人)がいても、赤字にならない仕組みをつくっていて、こうした仕組みがあることによって人の行動も変わると思います」(伊藤さん)