中国で知り合ったワンさんとの奇縁

川島 商売は厳し過ぎるからやめておこう、そうは思わなかったのですか。

田中 それは不思議とありませんでした。商売を始める時に失敗すると思いながらやる人はいなくて、成功すると思ってやるわけです。ところがそう簡単に成功するものではない。おおよそ9割くらいは失敗してしまうのではないでしょうか。

川島 田中さんも最初はうまくいかなかったのですか。

田中 1987年に服飾雑貨の製造卸しの会社を自信満々で始めたのですが、世の中はやはり甘くなかった(笑)。最初は売れなくて散々でした。けれども行き詰まった時に、縁というか、運というか、ちょっと面白いことがあったのです。

「信用金庫に勤めていたときは、(仕事が終わる)土曜日の午後3時になると背中に羽が生えましたね(笑)。全てががんじがらめで、仕事を楽しめていませんでした」
「信用金庫に勤めていたときは、(仕事が終わる)土曜日の午後3時になると背中に羽が生えましたね(笑)。全てががんじがらめで、仕事を楽しめていませんでした」

川島 いったいどんな?

田中 国内生産の商品が行き詰まってしまって、作ることも売ることも難しい状況になり、中国語も英語も話せないのに、中国の大きな展示会に出かけていったのです。展示会場を歩いていたら、知らない中国の女性から「あなたは何を探しているのですか」と声をかけられ、「ナイロンバッグを作りたいのです」と答えたのです。

 その人はワンさんというのですが、「うちはカゴバッグを作っている会社ですが、あなたに協力してナイロンバッグを作りましょう。サンプルを送ってください」というのです。最初は本当かなといぶかしく思ったのですが、結果的には思い通りのものが届きましたし、不良品が出ると全て交換してくれました。ワンさんの対応はとても良心的で、商売を助けてくれたのです。

川島 1980年代の終わり頃といえば、中国のもの作りは玉石混交で思い通りにいかないケースが多かったし、商いの原理原則を守らないところもあった。そのエピソード、ものすごくラッキーだったということです。