“少女漫画界のレジェンド”として長年活躍を続けてきた一条ゆかりさん。2022年6月にエッセー集『不倫、それは峠の茶屋に似ている』(集英社)を出版。ショート漫画『その後の有閑倶楽部』も収録され話題になっています。今回は、一条さんの初期の代表作となった『デザイナー』の誕生秘話と、創作活動の原点について聞きました。

(1)一条ゆかり 『その後の有閑倶楽部』は最後の新作漫画
(2)『その後の有閑倶楽部』 社会人になった6人を描く苦労
(3)一条ゆかり 女はどう生きればいいか、漫画で描いてきた ←今回はココ
(4)離婚、緑内障…でもご機嫌でいられる仕組み 一条ゆかり

編集部(以下、略) 1974年に雑誌「りぼん」で連載された『デザイナー』と、2002年から10年まで雑誌「コーラス」で連載された『プライド』は、どちらも“品性”をテーマに描いた作品なのだそうですね。一条さんにとって特別な思い入れのあるキーワードだったのでしょうか?

一条ゆかりさん(以下、一条) 私は、恋愛少女漫画家といわれていますが、女はどのように生きればいいのか、ということをテーマに漫画を描いてきました。恋愛は、女性の生きざまを描くための手段の1つ。70年代前半は、日本で女性解放(ウーマンリブ)運動が起こっていた頃です。男尊女卑の慣習があり、当時のキャリア女性たちは、男と女では同じ能力でも女の給料のほうが少なくて、男の3倍は努力しないと出世できないといっていました。

 才能や努力である程度まで上に行けても、それだけでトップにはなかなかたどり着けない、ときには少し卑怯なことでもしなければのし上がれない世界が現実にはあるということを、『デザイナー』で描いたんです。

 『デザイナー』のテーマは、仕事にかける女のプライドです。愛と仕事に悩みながらも、自分のプライドにかけて仕事は捨てられない。家族を捨てて、トップデザイナーとしての生き方を貫いた鳳(おおとり)麗香を主人公にしたかったのですが、少女向けの雑誌「りぼん」ではできなかった。だから、娘の亜美とダブルキャストのような形にしました。私は鳳麗香の仕事のやり方がとても好きだったので、描きたいせりふが山のように出てきてチョイスするのが大変でしたね。

孤児院で育った過去を持つ人気モデルの亜美は、一流デザイナー・鳳麗香が実の母であることを知り、ショックで事故を起こして大けがを負う。モデル引退後、美しい青年実業家の提案で、フランス・パリから招いたファッション講師陣のスパルタ指導を受け、母を超えるデザイナーとなる愛憎の復讐劇。『デザイナー 前編』から。(C)一条ゆかり/集英社
孤児院で育った過去を持つ人気モデルの亜美は、一流デザイナー・鳳麗香が実の母であることを知り、ショックで事故を起こして大けがを負う。モデル引退後、美しい青年実業家の提案で、フランス・パリから招いたファッション講師陣のスパルタ指導を受け、母を超えるデザイナーとなる愛憎の復讐劇。『デザイナー 前編』から。(C)一条ゆかり/集英社

「干渉されず、好きに描きたい」と取り組んだら人気に火がついた

―― 女同士の闘いをドラマチックに描いた『デザイナー』は大ヒットし、一条さんの初期の代表作となりました。

一条 私自身はデビューした頃から、漫画家として人気者になりたいとか、お金持ちになりたいとかは全く考えていませんでした。今でもそうです。だって、自分の好きなものはマニアック過ぎて、少数の熱狂的なファンはできるかもしれないけれど、万人受けはしないだろうと思い込んでいたから。漫画だけで食えたらいいな、くらいの気持ちで東京には来たんです。

 デビュー後しばらくは、商業誌として求められる作風と、自分の描きたいテーマとで折り合いをつけながら作品をつくり、不定期の読み切り企画などのチャンスに、自分が描きたい作品も自由に描かせてもらっていました。『デザイナー』のときは、人気が出なければ途中で連載が打ち切りになってもいいという条件で、3回の連載枠をもらったんです。「誰にも干渉されず、文句を言わせず、好き放題描きたい」と取り組んだら、とっても気持ちがよくて。描き終えた後は、「もう漫画家を辞めてもいい」と思うほど大きな達成感がありました。

 実は当時、私に対して“盗作作家”というような中傷がひどかったのですが、『デザイナー』を描いて以降、ピタッと収まりました。

「誰にも干渉されず、描きたいように取り組んだら、ものすごく人気が出ちゃって。世の中にはストレスが多くあって、自分の好きなように生きたいという思いを持った女の子がとても多かったみたいです。思わぬ反響に、『え? みんなもそう思ってたの? 知らなかった!』と驚きました」
「誰にも干渉されず、描きたいように取り組んだら、ものすごく人気が出ちゃって。世の中にはストレスが多くあって、自分の好きなように生きたいという思いを持った女の子がとても多かったみたいです。思わぬ反響に、『え? みんなもそう思ってたの? 知らなかった!』と驚きました」