新型コロナ感染症対策に取り入れられたことで一躍、注目を浴びた行動経済学。経済学に心理学の視点を組み合わせ、人間の意思決定や行動の特性を分析していく新しい学問です。行動経済学の視点をうまく取り入れると、部下、組織、そして自分自身の行動をより良く変えることもできます。ときに不合理な行動を取ってしまう、人間の思考プロセスにはどんなクセやバイアスがあるのか。大阪大学感染症総合教育研究拠点 特任教授の大竹文雄さんに聞きました。

(1)「得する」よりも「損しない」行動経済学で人を動かす
(2)男性育休取得率9割に急上昇 秘密は「デフォルト設定」
(3)新型コロナ対策で効果を発揮した「利他的メッセージ」とは? ←今回はココ

呼びかけで行動変容を促すには?

編集部(以下、略) 大竹さんは新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーでもありますが、行動経済学はコロナ対策にどう生かされたのですか?

大竹文雄さん(以下、大竹) 海外ではロックダウンを実行して、罰金や刑を科すこともしましたが、日本の場合は「マスクをしないと罰金」のような規制は基本的にできません。だから呼びかけて行動変容してもらうしかない。

 例えば、ワクチン接種を勧めたい場合、「ワクチン接種が受けられます」と広報するだけより、クーポン券を配ったほうが権利として強く感じられます。それは、届いたクーポンを使わないと損をするような気持ちが働くからです。こうしたところにも行動経済学の知見が生かされています。

3回目のワクチン接種を終えた人は約60%に(2022年6月時点)
3回目のワクチン接種を終えた人は約60%に(2022年6月時点)

大竹 「感染対策しましょう」「3密を避けましょう」と、さまざまな呼びかけをしました。伝統的な方法としては、どういう状況や行動によって感染するかという科学的な知識を広めて行動を変えてもらうことです。

 ただ、それだけではなかなかうまくいかない。私が当初から提言したのは「利他的メッセージの活用」です。感染対策をすることで「あなたと身近な人の命を守れます」というメッセージ。これはある程度、効果がありました。「自分の命を守りましょう」だと、自分は大丈夫だと思ってしまう人が多い。でも、自分のためではなく、周りの高齢者や家族への感染を防ぐために行動しようと呼びかけることは、行動変容につながります。現実に人は自分のことだけを考えて行動しているわけではないからです。

―― 確かに、祖父母に感染させたくないと帰省などの行動を控えた人は多かったですね。

大竹 コロナ対策ではどうしても「控える」や「我慢する」ことが多い。だからこそ損失を強調するメッセージをできるだけ避けるよう留意しました。2020年4月、ゴールデンウイーク前に「人との接触を8割減らす、10のポイント」という提言をまとめましたが、ここにナッジ(望ましい行動をとれるよう人を後押しするアプローチ)が使われています。

 原案では「帰省を控えてビデオ通話を利用しましょう」としていましたが、これを「ビデオ通話でオンライン帰省」という表現に変更しました。「帰省を控えて」というメッセージを発すると、人間の気持ちは「帰省をしたかったのにできない」という損失を強く感じます。原案のメッセージでは、「帰省する」が比較参照点となりオンライン通話はそれより低い位置になりますが、後者では「帰省しない」が比較参照点になり、「オンライン帰省できる」という利得メッセージになるのです。

―― 損失を強調すること以外にも避けたほうがいい呼びかけはありましたか?