ベストセラーとなった『負け犬の遠吠え』で「30歳以上、未婚、子なし」の3条件が揃った女性を「負け犬」と呼び、一大論争を呼び起こした酒井順子さん。あれから15年の時が流れた令和の幕開けに、変遷する「家族」の在り方について問いかけます。家族は「あるのが当たり前」ではなかった? 衝撃の「家族終了」宣言、その真意とは――。濃縮3回シリーズでお届けします。

(1)負け犬論争から15年目の「家族終了」宣言
(2)親孝行交換、家族の愛情は「掛け捨て型」
(3)「高齢者の一人暮らしは不幸」は本当ですか? ←今回はココ 

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酒井順子 親孝行交換、家族の愛情は「掛け捨て型」


「家族終了」、老後の不安にはどう向き合えばいい?

―― 前回の「親孝行交換、家族の愛情は『掛け捨て型』」では、「強制力が働かない時代だから、家族は続きにくくなっている」と話されました。女性は男性より長生きなので、結婚していても「人生の最後は一人」という将来を迎える確率は高くなりそうです。「家族終了」後、老後の孤独に対する不安とは、どう向き合えばいいでしょうか。

酒井順子さん(以下、敬称略) 確かに一人暮らしで老後を迎える女性はこれから増えていくでしょう。ただ、高齢者の一人暮らしを全面的に「気の毒だ」とネガティブに捉える必要はないと思っています。

 体に自由が利かなくなったとき、身内に面倒を見てもらいながら暮らすのと、不便を承知で一人で暮らすのと、どちらがいいかといったら、私は迷わず後者を選びますね。それで多少寿命が縮まろうとも、いつも誰かに気を使って「ごめんね」と小さくなって生きるより、どれほど行動がゆっくりになろうと、他人の目を気にせず暮らすほうが、私には合っている。見られていなければ「みっともない」とも「恥ずかしい」とも感じませんから。誰にもみとられずに亡くなる人はいますが、本人はそれほど不幸と思っていないのではないでしょうか。

 「孤独死」という言葉もよろしくないですね。

「死に貴賎なし。孤独死という表現には『上から目線』を感じます」
「死に貴賎なし。孤独死という表現には『上から目線』を感じます」