女子に弱いおじさんたちの無自覚

 「いいおじさん」は、「女の子」に弱い。女子の、どんなところ、とか、性格的にどういうところとかいうのではなく、「女子」という存在そのものに「弱い」のだ。

 いや、待てよ。この「女の子」というのも、だいたい幾つぐらいから幾つぐらいまでを意味するのか?

 幾つになっても「女子」っぽい女性もいれば、早くから大人の女性の空気を身に付けているひともいる。

 会社勤めをしていた頃、わたしは後者の先輩に憧れていた。温かく、けれど仕事上ではとても厳しく、甘えを許さなかった。そして、そういったところは、彼女自身の仕事に対する姿勢そのものでもあった。その厳しさが、妹の世代というか、少なくともわたしにはとても心地よかった。

 女の子を、勤めを始める年代(15歳、18歳、22歳、それ以上、とそれぞれ違うが)から、一応20代半ば過ぎあたりで区切ることにしようか。

 「いいおじさん」は、「女の子」を「女の子」としか見ていない場合が少なくない。同じ職場の仕事仲間としての視点はあまりない。だから、甘くなる。厳しさは、同じ年下でも男子に向けることが多い。

 「男子がしたら、あるいはしなかったら怒ることを、いいおじさんは、女子だったら、怒りも注意もしない。むしろ、許している、というか、許せる自分を楽しんでいる。わたしがいやなのは、そういうところなんだ。なし崩しの甘さって、モロ差別だよ」

 そう言ったのは、46歳のM子。広告の仕事に就いて20数年になる。彼女は妹の世代に対して、前掲のように厳しく温かく、仕事仲間として接したいと願っている先輩女性である。