心と体、食、社会課題に関わり続けてきた作家、落合恵子さん。人生後半戦に向けて揺れ動くARIA世代に伝えたいことがたくさんあるといいます。「あなた」を生きるのはあなた以外にいない――そんなメッセージを込めて、暮らしと仕事、家族、社会の今を通して「忘れてほしくないこと」を届けます。

 6月2日に発令された東京アラートが解除になってもまだ、「見えない時代」は続いている。解除になってから、東京の感染者の数がアップしているのも、皮肉なことではある。と、自分で書いて、政治も経済もメディアも「東京中心」はおかしい、と日ごろ書いたり言っているのに、と反省。一極中心はやはりゆがんでいる。

 東京に限らず、この原稿がアップされる頃には、どうなっているだろう。確かに「明日が見えない時代」だが、しかしこうも考えられないか。いつの時代だって、明日が見えた時代なんてなかった。時代に限らず、命に明日の保証はないのだから。今が平時で、コロナ禍などと無縁な時であっても、1時間後に何が起き、30秒後に社会がどうなっているか、God knows it、誰にもわからない。にもかかわらず、コロナ禍と対峙すると、なにもかもがはじめてに思えておびえてしまうのだ。そういった意味では、ひととはきわめて脆弱な存在なのだと思う……。

 「未知」や「はじめて」、あるいは「そう思えるものやこと」に対して、ひとはきわめて消極的であり、臆病だ。そういった意味において、ひとは永遠の昨日の続きを求める保守派なのかもしれない。少々の変化は調味料として歓迎するが、抜本的改革の前ではちゅうちょする。長期政権や一党独裁を求めているのは、権力者だけではないのかも……と梅雨空を見上げて考える。

新型コロナウイルス感染の終息が見えない中、人種差別への抗議運動が世界に広がっている
新型コロナウイルス感染の終息が見えない中、人種差別への抗議運動が世界に広がっている

コロナ禍の下で広がる差別への抗議

 世界的な新型ウイルスとの闘いに並行して、米国では5月末から人種差別への抗議が続いている。5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで、アフリカ系アメリカ人(従来、黒人と表記されることが多かった)のジョージ・フロイドさんは白人の警官に首などを圧迫され、死亡した。なんとむごく痛ましい事件だろう。同時に、「またか!」と無念な既視感を覚えるのは、この差別が21世紀の現在も終息していないという事実を痛感させられるからだ。

 ずっとあった、そして今もある、たぶんこれからもあるに違いない、一方の人種からの、ある人種への差別、選別、偏見、暴力、魂の殺人と具体的殺人。

 翌日から抗議活動が始まり、全米各地に拡大。日本のメディアも報道を始めたが、以下の表現がわたしにはずっと気になっていた。抗議する側が「暴徒化した」という表現である。確かに抗議行動のさなか、暴力的になる者もいるだろう。略奪行為を働く者もいるかもしれないが、すべての人々が「暴徒化した」わけではない。身体的、精神的、歴史的暴力をふるい続けたのは、どちらなのだ?