TBSアナウンサーとしてのキャリアをこの春に“卒業”した堀井美香さんと、2016年に朝日新聞社を退職した稲垣えみ子さん。共通するのは、「長年勤めた会社を50歳で辞める決断をし、新たな道に進む」という点。堀井さんと稲垣さんが大きな決断をした理由は? 連載2回目は、稲垣さんに辞める前に10年かけて行った「体質改善」について語ります。

(1)稲垣えみ子&堀井美香 50歳で会社を辞めるという決断
(2)稲垣えみ子「50歳で辞める」10年間となえ続けた呪文 ←今回はココ
(3)堀井美香「会社で身に付けた “型”を次世代に伝えたい」
(4)稲垣えみ子 50代でピアノ再開、「できない」から没頭

新聞社で女性記者は、ずっと「色物」だった

堀井美香さん(以下、堀井) 前回は私が話し過ぎてしまったので、今回はぜひ稲垣さんについて根掘り葉掘り聞かせてください。実は私、ステキな女性の先輩が大好物なんです。稲垣さんは、どんな会社員人生を送っていたのですか?

稲垣えみ子さん(以下、稲垣) いやいや私なんぞすてきでもなんでもなく、会社からも持て余されて育ってきたタイプです。朝日新聞社という会社は好きで新聞記者という仕事も大好きでしたけれど、そもそも私が入社した当時(1987年)は採用される女性は本当に少なくて。

 最初に配属された地方の支局でも、私が2人目の女性。「女なんかいらないんだ」と公言する上司は当たり前で、むしろそれがカッコイイみたいな妙な文化があって、言われる私も「そんなものかな」と受け入れていたんです。

堀井 そういう時代ですよね。

「50歳で退社」という共通点はあっても、退社までの準備は大きく違う2人。稲垣さんが10年間かけて行った「体質改善」とは?
「50歳で退社」という共通点はあっても、退社までの準備は大きく違う2人。稲垣さんが10年間かけて行った「体質改善」とは?

稲垣 女性はずっと“色物”で、正直、それが嫌とも思っていなかったところもあるんです。むしろ夜回りとか王道なハードな取材はやりたくなかったから、「女には無理だよね」と思われることを逆手に取って、自由に好きな仕事をさせてもらえてラッキーみたいな小ずるい感じでやってきました。