文化の花開いたルネサンス期、政治的には混迷を極めていたイタリア・フィレンツェ共和国の外交官だったマキャベリが残した『君主論』。マキャベリが説くのは、「非連続な時代において、国を統治する君主はどうあるべきか」。数多の企業再生・改革の修羅場をくぐり抜けてきた木村尚敬さんは、「約500年を経て色あせない普遍性があり、現代のリーダーが必読の書」と言う。令和を生きる私たちが『君主論』から学べることは何か。全3回でお届けする。

現代のビジネスパーソンは「有事」を生きている

 ニッコロ・マキャベリ(1469-1527)の『君主論』は、多くの経営者やリーダーが座右の書として挙げる名著です。2022年1月、経営共創基盤(IGPI)の冨山和彦氏と共著『シン・君主論 202X年、リーダーのための教科書』を出版し、『君主論』のエッセンスを現代のビジネスに当てはめ、リーダーが学べることを解説しました。約500年前に記された『君主論』についてなぜ今、本にしてまとめたのか。それは、マキャベリが生きた15~16世紀イタリアの混沌(こんとん)の時代と、令和の日本の状況との類似点が非常に多いからです。

数多の企業再生・改革の修羅場をくぐり抜けてきた2人が、『君主論』のエッセンスを現代のビジネスに当てはめて解説した『シン・君主論 202X年、リーダーのための教科書』(冨山和彦、木村尚敬著、日経BP)。「マキャベリは、『究極的には人は弱い』という前提で、君主論をまとめています。たとえ1人でも部下を持っている人なら必ず役立つはずです」(木村さん)
数多の企業再生・改革の修羅場をくぐり抜けてきた2人が、『君主論』のエッセンスを現代のビジネスに当てはめて解説した『シン・君主論 202X年、リーダーのための教科書』(冨山和彦、木村尚敬著、日経BP)。「マキャベリは、『究極的には人は弱い』という前提で、君主論をまとめています。たとえ1人でも部下を持っている人なら必ず役立つはずです」(木村さん)

 第2次世界大戦後の日本が、高度経済成長期を経て右肩上がりの成長を続けてきたときは「米国に追いつけ、追いこせ」と、いわゆるキャッチアップ型の経済と言われたように道筋が明確でした。自動車や家電製品など大量生産、大量販売型による「良い品質でより安く」のビジネスモデルを作り、当時としては世界有数の競争力を整えていった。つまり、道筋が明確な中で、迷わず進むことができました。

 ところが、バブル経済崩壊以降、今の言葉でいえばIT化、デジタル化が世界で進みます。その結果、産業構造を丸ごと変えてしまう、非常に大きな市場環境の変化がありました。それぞれの企業のみならず、産業も、そして国も、「そもそも、どちらに進めばいいのか」ということから考えなければならない。30年続いた平成が終わり、令和を迎えても混沌とした状況は続いたままです。

 マキャベリもまた、有事、乱世の時代に生きています。イタリアには数多くの小国が乱立し、しかも周囲をフランス、ドイツ、スペインといった国々に囲まれ、外国からの侵攻にも脅かされました。

 イタリアの中でどちらかといえば弱小であったフィレンツェ共和国で生まれ、政治や外交に携わったマキャベリは、目まぐるしく変わる情勢と、優柔不断なリーダーに翻弄(ほんろう)されることになります。当然、ものごとは予想の範囲内で連続的には進まず、非連続的な変化が立て続けに起きました。そんなマキャベリが後年に著した『君主論』で論じているのは「非連続な時代において、国を統治する君主はどうあるべきか」ということです。

 ここで「国」を「企業」に置き換えるなら、「非連続な時代において、企業を統治するリーダーはどうあるべきか」となります。マキャベリの言葉は約500年を越えて、そのまま「有事」を生きている現代のビジネスリーダーが直面しているテーマと重なるのです。

『君主論』とは?
1532年に出版。全26章あり、内容は大きく3つに分かれる。
1/国の形式と君主の成り立ちについての分類
2/「君主とはかくあるべし」というリーダーの資質を解いた内容
3/組織のつくり方と運営についての提言
日本で初めて翻訳書が刊行されたのは1886(明治19)年