人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。シンクタンク・ソフィアバンク代表ほか多くの企業の経営に参画、経済評論家、キャスターとしても活躍する藤沢久美さん。新入社員時代、不本意な配属先に落胆しますが「30歳で起業する」と決め、周囲の人たちに学びながら少しずつ自信をつけていきます。

(1)不本意な配属に泣いた日々も 職場は最高の学びの場 ←今回はココ
(2)意識を変えると世界は変わる 起業、そして新たな使命感
(3)周囲の目に苦しんだ30代 他人と比べず自分の人生歩む


藤沢久美
シンクタンク・ソフィアバンク代表
藤沢久美 大学卒業後、国内外の投資運用会社勤務を経て、1996年に日本初の投資信託評価会社を起業。99年に同社を世界的格付け会社スタンダード&プアーズ社に売却後、2000年にシンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。現在は代表。07年、ダボス会議を主宰する世界経済フォーラムより「ヤング・グローバル・リーダー」に選出。文部科学省参与ほか、政府各省の委員や公的機関の理事、上場企業の社外取締役なども務める。著書は『なぜ、川崎モデルは成功したのか?』(実業之日本社)ほか多数。

世界の未来を予測する「証券アナリスト」という仕事。未来が知りたいという子どもの頃からの願いを仕事にできるなら、これほど幸せなことはないと思った
世界の未来を予測する「証券アナリスト」という仕事。未来が知りたいという子どもの頃からの願いを仕事にできるなら、これほど幸せなことはないと思った

 気がつけば、生まれてから半世紀。そんな日が来るなんて、考えたことがなかった。社会人になってからもずっと自分の未熟さと対峙する日々を送っているのに、社会人生活も四半世紀を超えた。

 私は、社会人生活初日の入社式のその日に、会社を辞めたいと思った。配属先が、希望するものと違ったからだ。大学時代に友人と、30歳までに起業をしようと約束し、それまで企業で働いて腕を磨こうと誓い合った。どうせ腕を磨くための就職ならば、自分のやりたいことができる会社にしようと選んだのが、投資信託運用会社だった。そこには、世界の未来を予測する「証券アナリスト」という仕事があった。未来が知りたいというのが私の子どもの頃からの願いで、それを仕事にできるならこれほど幸せなことはないと、両親の反対を振り切って奈良県の実家を出て、東京で就職することにしたのだ。

 しかし、いきなり出た辞令は、「企画部勤務を命ず」。投資信託という金融商品を企画する部門だ。正直、まったく興味もなかったし、知識もまるでゼロだった。こんなことをするために東京に来たんじゃない。すぐさま会社を辞めたいと思った。