人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。写真家・映画監督の蜷川実花さんの最終回です。監督作品の制作、公開のたびに大きな精神的風圧の中で戦っているという蜷川さん。一貫して「自立せよ」のメッセージを伝えながら絶えず前進し、誠実にものづくりをしていきたいと語ります。

(1)自分の表現求め、撮り始めた10代
(2)独学で広げた仕事、世界観で勝負
(3)伝え続けたい「自立」、絶えず前進 ←今回はココ


蜷川実花
写真家・映画監督
蜷川実花 1972年、演出家・蜷川幸雄の長女として東京に生まれる。多摩美術大学在学中からフォトグラファーとして活動を始め、2001年の第26回木村伊兵衛写真賞ほか、多くの写真賞を受賞。映像作品も多く手がける。監督作品に映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』(19年)、Netflixオリジナルシリーズ『FOLLOWERS』(20年)など。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事も務める。

 写真を撮っているとき、音が消え、暑さや寒さも感じなくなる瞬間があります。被写体と自分との境界線がなくなり、融合するような感覚になる。今でいう“ゾーンに入る”ということかもしれませんが、その瞬間が大好きです。

 私の写真の色みは最大の武器ですが、同時にそれは、諸刃の刃(やいば)であると感じています。色が強烈なので、実はその奥にある本音やメッセージにたどり着きにくいのではないかな、と。色の奥にあってなお、発信できる強さを私自身が持たないと色に負ける。そのことを自覚しながら、写真を撮っています。

 振り返ると、30代は「私は写真家である」ことにこだわっていた気がします。あまり手を広げすぎないほうがいいと考え、写真家の範疇(はんちゅう)を超えた仕事を受けることには慎重になってもいました。そういう自分ブランディングは常にしていましたね。実は、「映画監督」という肩書を名刺に入れたのも、つい最近のことです。

「私の写真の色みは最大の武器。強烈な色の奥にあってなお発信できる強さを私自身が持たなければならない」
「私の写真の色みは最大の武器。強烈な色の奥にあってなお発信できる強さを私自身が持たなければならない」