人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。「伝説の家政婦」と名高い料理家タサン志麻さん。20〜30代は、日本で料理人としてキャリアアップに励みます。しかし、35歳で突如料理の世界を飛び出してしまうことに。一体何があったのでしょうか。

(1)初バレンタインは坂本龍馬へ
(2)休み時間に点滴を打ち、店に出る ←今回はココ
(3)料理家ではなく家政婦でいたい


タサン志麻
家政婦・料理家
タサン志麻 1979年山口県生まれ。大阪あべの・辻調理師専門学校、同グループ・フランス校卒業。フランスの三つ星レストランで修業後、日本の老舗フレンチレストランなどでシェフとして15年間務める。2015年にフリーランスの家政婦として独立。家庭にある食材を使い、3時間で10品以上を作る腕が評判となり、「予約の取れない伝説の家政婦」として注目される。著書も多数。近著は『志麻さん式 定番家族ごはん』(日経BP)。フランス人の夫、2人の息子と暮らす。

 調理師学校を卒業後、唯一、「ここで働きたい」と思った店。それは、老舗の高級フレンチレストランでした。古き良き正統派のフランス料理、シェフの料理への情熱にひかれ、「働かせてください」と直談判すると、「女は雇わない」と断られました(そういう時代でした)。めげずに、フランス料理への思いを必死で話していると、根性を買われたのか、雇ってもらえることに。

 一般的に、レストランでは最初は見習いとして皿洗いや掃除などから始め、食材や調理法などを学びます。そのうち、まかないを作り、少しずつ料理を担当させてもらえるようになります。ただ、これも店によっていろいろです。

 その店は1年続く人がいないほど、フランス料理の料理人の間でも厳しくて有名でした。仕事が厳しいのは当たり前なので気になりませんでしたが、不器用な私は毎日怒られ、できない自分が悔しくて、3日に1回は泣いていました。料理の不備で、お客様におわびをしたこともあります。

 厳しさからスタッフが続かず、私はすぐに勤務歴ではシェフの次に古株になりました。憧れの店での仕事は学びも多かったのですが、実力が伴っていないのに、先輩的な存在になったことに申し訳なさと違和感を覚えたことなどもあり、3年たったのを機に辞めました。