人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。「爆笑問題」など多くのタレント、構成作家を擁する芸能プロダクション、タイタン社長の太田光代さん。

(1)ダメでもやってみる人生がいい
(2)次々湧くアイデア、社長業は天職 ←今回はココ
(3)不妊治療で芽生えた新たな使命感
(4)コロナで想定外の日々を乗り越えて


太田光代
太田光代 1964年東京都生まれ。芸能プロダクション・タイタン社長。モデルを経て、タレントとしてテレビ番組などで活躍。26歳のとき、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光と結婚。93年にタイタン設立。そのマネジメント力で爆笑問題をブレイクさせ、現在も多くのタレントや構成作家を抱える。生花店も経営。著書に『私が「にんぎょひめ」だったころ』(集英社インターナショナル)、『奥さまは社長』(文藝春秋)など

 もう恋なんてしないし、結婚もしない。24歳の私はそう思っていました。タレントの仕事に没頭する私から去って行った婚約者ほどに好きな人は、もう現れないと思っていましたから。

 「ここで頑張ろう」と大きな決意で新しい事務所に所属。「爆笑問題」は同期でした。よほど面白いか、つまらないかじゃないと成立しないコンビ名は印象的でしたし、風刺のあるコントは面白く、「世の中に出て行く人だ」と感じていました。

出会ったその日から二人暮らしがスタート

 太田光と初めて言葉を交わしたのは、私の風呂なしアパートで同期との合同ライブの打ち合わせをしたとき。彼は一人、朝まで居続けました。夜、私が仕事から帰っても、まだいる。「銭湯に行くけど、行く?」と声をかけると、子どもみたいに大はしゃぎ。そしてお風呂上がり、出てきた彼の手には、真新しい洗面器にシャンプーのボトルとせっけんが。「……住みつく気?」と、少々用心していると、当たり前のようにまたうちにいる。仕方がないから二人でテレビゲームざんまい。翌日、私はまた仕事へ。そんな日が3日続き、私は疲労困憊(こんぱい)していました。さすがに、付き合ってもいない男性がいる状態では一睡もできませんでしたから。そして、朦朧(もうろう)とした頭で考えました。この人は私と1回寝るまでは帰らないのでは。だったら1回くらい、いいか。私も大人だし、早くゆっくり眠りたいし……。

 そして翌日。仕事から帰るとまだいる! しかも、たばこをカートンで買ってる!

 追い出すこともできたのですが、当時、部屋を借りられず、知人の家を転々としている芸人も多かったので、太田もそのクチだと思っていました。でも、さすがに半年たつと「まずい」と思い始めました。「私のこと好き?」と聞いて「大人の関係じゃん」と言われたら、ショックだなと思い始めていましたから。意を決して、「私のことが好きでも嫌いでもないなら出て行って!」と言うとひと言、「付き合ってるんじゃないの?」。私が「何も言われていないから分からない」と言うと、「言わないと分からないの?」。

 こうしたやりとりは、いまだにあります。彼は「愛してる」なんて絶対に言いません。「愛してるって言わないのは愛してないからだ!」と絶叫すると、「言葉にすると軽いじゃん」の繰り返し。女性は、時々言葉にしてくれないと実感できないのに。

「彼は絶対に『愛してる』なんて言いません。女性は、時々言葉にしてくれないと実感できないのに」
「彼は絶対に『愛してる』なんて言いません。女性は、時々言葉にしてくれないと実感できないのに」