人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。女優・草刈民代さんは20代で海外の舞台にも多く招かれ、バレエの力量を磨いていきますが、目指す理想と周囲との差に違和感や葛藤を抱えます。そんな中、30歳で映画『Shall we ダンス?』の出演オファーを受け、芝居に初挑戦。映画は大成功し、プロとしての自信を深めます。周防正行監督と結婚、さらにバレエ界の一流の人々との交流によって自分の踊りを究めていきました。

(1)気分屋の自分が唯一没頭したバレエ
(2)映画に初出演、30歳で環境が一変 ←今回はココ
(3)44歳で女優に転身、今が出発点

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妹たちへ 草刈民代 気分屋の少女が唯一没頭したバレエ

草刈民代
女優
草刈民代 1965年東京都生まれ。8歳でバレエを始め、16歳で牧阿佐美バレエ団に入団。以降、同バレエ団の主役を多く務める。海外のバレエ団のゲスト出演も多く、現代バレエの巨匠、ローラン・プティ作品には欠かせない存在に。96年に映画『Shall we ダンス?』で映画初主演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。同作の監督・周防正行氏と結婚。2009年にバレリーナを引退、女優に転身。映画『月と雷』(2017年)、ドラマ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系、2019年~)などに出演。

 「踊りのプロ」を目指し、バレエに没頭していた私は、26歳で旧ソ連・モスクワのダンチェンコ劇場にゲストとして招かれ、『ドン・キホーテ』を踊りました。以降、ルーマニアやロシアなどの劇場やバレエ団に招聘(しょうへい)されるなど、海外で多くの舞台に立つ機会をいただきました。

海外の舞台へ 緊張と不安に「負けたくない」

 海外でもスターダンサーが少ないバレエ団は、公演の際にゲストを呼ぶことがあります。振付師や興行会社を通じて客演依頼が来るなど、主役を踊るプリンシパルは、海外のバレエ団との交流を持つことは少なくありません。

 招かれる時は、常に一人旅。言葉も分からない国で、緊張と不安で押しつぶされそうな中、常に「負けちゃいけない」と気負っていました。当時の日本人ダンサーのイメージは、「バレエ後進国から来た人」。私にもその自覚はある。でも、同じ舞台で踊る以上は負けたくない。日本人として恥ずかしくない踊りをしたい。どんな環境でも踊れるように、食事も生活スタイルも、自分の嗜好やこだわりは一切捨てました

 嫌がらせをされたこともあります。後に13年間にわたって共演したレニングラード国立バレエ団で、初めて踊ったときのこと。本番中に私がソロで回転していると、周りに立っていた群舞のダンサーたちがくすくすと笑い始めたのです。一瞬焦りました。でも、翌年から一切なくなった。そうできないようなたたずまいになっていたのでしょう。実力主義の世界では、こんなにも分かりやすく人の態度に表れるのです。

「いつも一人で海外の舞台へ。同じ舞台で踊る以上は負けたくないと気負っていました」
「いつも一人で海外の舞台へ。同じ舞台で踊る以上は負けたくないと気負っていました」