人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。女優・草刈民代さんは小学校2年生のとき、フィギュアスケートのジャネット・リン選手の生き生きとした競技を見て「バレエがやりたい!」という思いに駆られます。飽きっぽく物事が続かなかった少女が突然、プロの踊り手になると決意。高校を1年生で中退し、バレエ一筋の日々が始まります。

(1)気分屋の自分が唯一没頭したバレエ ←今回はココ
(2)映画に初出演、30歳で環境が一変
(3)44歳で女優に転身、今が出発点

草刈民代
女優
草刈民代 1965年東京都生まれ。8歳でバレエを始め、16歳で牧阿佐美バレエ団に入団。以降、同バレエ団の主役を多く務める。海外のバレエ団のゲスト出演も多く、現代バレエの巨匠、ローラン・プティ作品には欠かせない存在に。96年に映画『Shall we ダンス?』で映画初主演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。同作の監督・周防正行氏と結婚。2009年にバレリーナを引退、女優に転身。映画『月と雷』(2017年)、ドラマ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系、2019年~)などに出演。

 44歳でバレリーナを引退し、女優に転身。映画『月と雷』(2017年)では、行きずりの男の家を転々とする酒浸りの女性を演じました。それまでと全く違う役を演じる上で意識したのは、普段の私をイメージさせないこと。背筋を伸ばさず「丹田がない」イメージで歩くなど、私の“普通”を徹底的に排除することで、新しい芝居の扉を開けた気がしています。

 映画ではダメな女性を演じましたが、子どもの頃の私も、かなりダメな子でした。気分屋で、なんでもやりっぱなし、出しっぱなし。片づけなど当たり前のことができないくせに、負けず嫌いで、母に小言を言われると反発する。協調性がなく、学校では集団行動が苦手。教室に張り出される「忘れ物をした人リスト」では常にクラスのトップなのに、親に叱られても、「忘れちゃうんだから仕方がない」と気にしない。興味がないことは一切せず、かといって、没頭できる何かがあるわけでもない。3人姉妹の長女ながら、厄介な子でした。

気分屋の問題児、小2で突然「バレエをやりたい」

 そんな私が、「バレエをやりたい」と突然に、でも確固たる思いを抱いたのは、小学校2年生のときのこと。きっかけは、1972年札幌オリンピックで、フィギュアスケートのジャネット・リン選手の競技を見たことでした。「銀盤の妖精」と呼ばれて大人気だった彼女の、氷上での生き生きとした姿に心引かれました。でも、やりたいと思ったのはバレエだったのです。

「ジャネット・リン選手の生き生きとした姿に心引かれ、『バレエがやりたい』と突然思いました」
「ジャネット・リン選手の生き生きとした姿に心引かれ、『バレエがやりたい』と突然思いました」