人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。ジャーナリストの江川紹子さんは、弁護士一家事件を警察に本気で捜査してほしくて、オウムの取材を始めます。あるときは毒ガスを自宅に噴霧されたことも。そして地下鉄サリン事件をきっかけに生活は一変。後に事件の裁判を多く傍聴し、人は悩み迷うときには、誰でもカルトに支配されやすくなるのだと知ります。

(1)就活に失敗して地方新聞の記者に
(2)冤罪事件に全力で取り組んだ30代
(3)オウム事件と裁判傍聴で知ったこと ←今回はココ

江川紹子
ジャーナリスト
江川紹子 えがわしょうこ/1958年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1982年4月から1987年12月まで、神奈川新聞社で社会部記者として勤務。退社後はフリーライターに。1989年11月、坂本堤弁護士一家が行方不明となり、オウム真理教問題を本格的に取材。1995年、一連のオウム報道で第43回菊池寛賞受賞。著書に『「オウム真理教」追跡2200日』(文藝春秋)『名張毒ブドウ酒殺人事件─六人目の犠牲者』(岩波書店)など。Yahoo!ニュース個人に「江川紹子のあれやこれや」を寄稿中。

 今でこそ、坂本堤弁護士一家の事件は、オウム真理教が引き起こした殺人事件であると誰もが知っていますが、発生当初は、そうではありませんでした。

「弁護士一家は自発的に失踪した」とされた

 坂本さんの自宅には、明らかな暴力の痕跡もあったのですが、警察の捜査の責任者はなんと、一家は自発的に失踪した、という見方をしていたのです。

 一方、私を含めて、坂本さんを知る人たちは、教団が一家を連れ去った拉致事件だと考えました。そのときは、自宅で殺害され、遺体が持ち去られたとは、想像もしませんでした。

 オウムは、事件への関与を全面的に否定していました。そのうちに、教団を追及するよりも、むしろ新種のサブカルチャーのような扱いで教団を持ち上げるメディアも出てきました。

 私は、なんとかして教団と事件に関する情報を集めて警察に本気で捜査してもらいたい、という思いから、オウムの取材を始めました。その意味では、準当事者的な関わりでした。

 けれども、取材を進めて信者や元信者の話を聞くにつれ、なぜ前途ある若者がこんな集団に引き寄せられてしまうのか……との疑問も湧き、取材者としての関心も抱くようになりました。

自宅に毒ガスが噴霧される事件

 いろいろなことがありました。「オウムが引き起こしたある事件は、教祖が関与した疑いがある」という記事を書いた直後、私の自宅に化学臭のガスが噴霧される事件も起きました。

 しばらく声が出なくなりましたが、私は、痴漢防止スプレーのようなもので嫌がらせをしたのだろう、という程度の認識でした。彼らがホスゲンなる毒ガスで私を殺しに来た、と知ったのは、警察の強制捜査が始まった後です。今考えると、危機感が甘かった。自分が置かれた状況を的確に把握するのは、難しいですね。

 あるとき、坂本弁護士事件について情報を持っている、という男が現れました。坂本夫妻は亡くなっているが、子どもはオウムのなかで育てられている、という話でした。子どもは生きている、という話にすがるような気持ちで、詳細を聞きました。確認のため、週刊文春の記者たちが全国各地に飛んで取材をしてくれました。ところが、全く裏づけが取れないのです。話は虚偽だと判断せざるを得ませんでした。