人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。ジャーナリストの江川紹子さんは、自分は社会のことを知らなすぎるのでもっと知るために、と新聞記者を志望。大手新聞社の入社試験に落ちて地方新聞社に入ります。そこで早くから署名記事の機会を与えられ、「自分のやりたいこと探し」を忘れて仕事に没頭していきます。

(1)就活に失敗して地方新聞の記者に ←今回はココ
(2)冤罪事件に全力で取り組んだ30代
(3)オウム事件と裁判傍聴で知ったこと

江川紹子
ジャーナリスト
江川紹子 えがわしょうこ/1958年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1982年4月から1987年12月まで、神奈川新聞社で社会部記者として勤務。退社後はフリーライターに。1989年11月、坂本堤弁護士一家が行方不明となり、オウム真理教問題を本格的に取材。1995年、一連のオウム報道で第43回菊池寛賞受賞。著書に『「オウム真理教」追跡2200日』(文藝春秋)『名張毒ブドウ酒殺人事件─六人目の犠牲者』(岩波書店)など。Yahoo!ニュース個人に「江川紹子のあれやこれや」を寄稿中。

 夢を見つけ、目標を持ち、それに向かって努力して、自分の人生を選び取っていく。そんな生き方に憧れます。私自身は残念ながら、それとは逆に、受け身の、いわば“流される”人生を送ってきてしまいました。ここでは、流されつつ、時に自分なりにあがきもした人生を、反省も込めて振り返ってみようと思います。

なりたい職業がころころ変わった少女時代

 子どもの頃から、調べ物は好きなほうでした。テレビ番組で何か分からない言葉があると、夕食の途中でも、意味を調べるために本棚に向かいました。調べ始めると、食卓に戻るのを忘れ、座り込んで百科事典を読みふけることもありました。

 その様子を見て、母は私が学者に向いていると思ったようです。母は専業主婦でしたが、娘には自立した人生を送らせたいと思っていて、「あなたは女なんだから、ちゃんと大学に行って、仕事に就かないと」が口癖でした。

 私自身は、幼い頃の「エレベーターのお姉さん」やバスの車掌さんへの制服願望が一段落すると、小学校高学年では作家に、中学生になると考古学者に憧れました。トロイアの遺跡を発掘したシュリーマンの伝記を読んで、ギリシャ神話の世界に魅せられたのです。

素敵な担任の言葉に影響されて理数科を志望

 なのに、高校受験では理数科に願書を出しました。ハンサムで素敵(すてき)な担任の先生が、「江川は白衣が似合いそうだな」と言ってくれたので、「だったら理数系だ!」と早とちりしてしまったのでした。

 さすがに心配になった父が、「進路を決めるのは大学受験のときでいいのではないか」と助言。私も「それもそうだな」と思い直し、普通科に変更して受験しました。

 高校時代はクラシック音楽と漫画『ベルサイユのばら』に夢中。古本屋さんで見つけた伝記作家シュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』などを読み、物語の背景を知るのが楽しくて仕方ありませんでした。