人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。フリーアナウンサーの草野満代さんは中学時代に見たドキュメンタリードラマ『マリコ』に心引かれ、「懸け橋」になるような仕事がしたいと考えます。テレビ番組を作りたいと志望して受けたNHKからアナウンサーの採用通知が届き、金沢放送局に配属。情報を伝えることの大切さを教えてくれたのは地元の視聴者の人たちでした。

(1)話すのが苦手な私がアナウンサーに ←今回はココ
(2)男性社会から自由に、29歳で独立
(3)本当に好きなことに気づいた40代


草野満代
フリーアナウンサー
草野満代 1967年岐阜県生まれ。津田塾大学学芸学部数学科を卒業後、NHK入局。金沢放送局を経て、91年に東京アナウンス室へ。「NHKニュース おはよう日本」などのキャスターをはじめ、アトランタ五輪の現地キャスターも担当。フリーとなった97年から2006年まで「筑紫哲也NEWS23」(TBS系)のサブキャスターを務める。2019年1月には「天皇陛下在位30年記念式典」で司会、現在「ごはんジャパン」(テレビ朝日)、「健康あるあるWONDER4」(ニッポン放送)に出演中。

 静まり返った講堂に、ばーんという音が響きました。突然、登壇者が倒れたのです。それは、新人アナウンサーとしてNHK金沢放送局に赴任した直後の私でした……。

 その日は地元の大学の依頼で、新入生向けに講演を行う予定でした。ところが、大勢の学生を前にすると、極度の緊張と無反応に耐えられず、過呼吸で倒れて病院へ。一足早く社会に出た先輩の衝撃的な展開に学生はどう思ったのかと考えると、今でも恐ろしいです(笑)。

 アナウンサーなのに人前で話すことが苦手。おかげで仕事は、失敗の連続でした。

「懸け橋となるような仕事に就けば、自分らしい生き方を見つけられるかもしれない」。中学2年生で見た『マリコ』に心が引かれた
「懸け橋となるような仕事に就けば、自分らしい生き方を見つけられるかもしれない」。中学2年生で見た『マリコ』に心が引かれた

 私は、岐阜県の小さな町に生まれ育ちました。時は、高度経済成長のまっただ中。テレビで都会の様子を見ては、自分が今いる環境は世の中とかけ離れていると感じていました。

 中学2年生のとき、NHKで柳田邦男原作の『マリコ』というドキュメンタリードラマを見ました。日本人とアメリカ人の間に生まれ、日米開戦前夜、その名前が日本へのアメリカの態度を表す暗号に使われた女性・マリコさんを追ったものでした。

 ドラマではマリコさんの名前が日米の懸け橋の象徴として使われていましたが、私は「懸け橋」という言葉に引かれました。懸け橋となるような仕事に就けば、遠く感じている世界とつながることができるかもしれない。懸け橋として、人の生きざまに触れる仕事をすれば、自分らしい生き方を見つけられるかもしれない――。