人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。モデル・タレントとして活躍するアンミカさんの2回目では、デビュー当時を振り返ります。モデルとして走り出したキャリアは、決して順風満帆というわけにはいきませんでした。

(1)骨折も割り箸で固定した貧乏生活
(2)モデルのキャリアを休止し韓国留学 ←今回はココ
(3)仕事への自信が結婚につながった


アン ミカ
モデル・タレント
アン ミカ 1993 年パリコレ初参加後、モデル・タレント、テレビ・ラジオ・ドラマ・CM出演など、幅広く活躍。漢方養生指導士、化粧品検定1級など、多数の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。プロトコールマナー講師の資格も有し、講演会では、そのポジティブな内容が好評。韓国観光名誉広報大使、初代大阪観光大使も務める。『ポジティブ手帳2022』(小学館)2021年9月29日発売予定。

「明日、撮影があるけどよかったら来ない?」

 モデルとしてくすぶっていた19歳のとき、京都でのファッションショーで、ロバート・ショーナーさんに声を掛けられました。ショーナーさんはハイブランドの広告も手がける著名なフォトグラファー。そのときに撮影した写真が、ロンドン発のファッション誌『i-D MAGAZINE』に掲載され、私の写真と衣装デザイナーが注目を集めたのです。それがきっかけで、彼の来日時に呼んでもらえるようになり、私のコンポジット(プロフィール作品)はスタイリッシュなものに変わっていきました。

 それを携えて、パリ・コレクションに再挑戦。写真の力は絶大で、かつてオーディションで落とされたモデル事務所からもお声が掛かり、20歳で念願のパリコレデビュー! アライアなどの上顧客向けのショーや、気鋭のデザイナーが地下駐車場などで開催するアバンギャルドなショー、ビューティービーストなど旧知の日本人デザイナーのショーに出演。4年ほど、日本とフランスを行き来する生活を送りました。もちろん、悔しい思いをしたことも山ほどあります。あるハイブランドのショーに起用されて感激していたら、身長が同じケイト・モスのリハーサルモデルだったことも。それでも、ナオミ・キャンベルなどのスーパーモデルと同じ空気を吸えた自分が誇らしかったです。