人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。モデルでタレントのアンミカさんの1回目は、貧乏暮らしをした幼少期やモデルを志すようになった出来事を振り返ります。

(1)骨折も割り箸で固定した貧乏生活 ←今回はココ
(2)モデルのキャリアを休止し韓国留学
(3)仕事への自信が結婚につながった


アン ミカ
モデル・タレント
アン ミカ 1993 年パリコレ初参加後、モデル・タレント、テレビ・ラジオ・ドラマ・CM出演など、幅広く活躍。漢方養生指導士、化粧品検定1級など、多数の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。プロトコールマナー講師の資格も有し、講演会では、そのポジティブな内容が好評。韓国観光名誉広報大使、初代大阪観光大使も務める。『ポジティブ手帳2022』(小学館)2021年9月29日発売予定。

 「100%ポジティブ」。2021年3月に作らせていただいた日めくりカレンダー『毎日アン ミカ』の中の1ページで、そうつづりました。振り返ると、子どもの頃は四畳半1間、風呂なしの長屋に両親と5人きょうだいでの貧乏暮らしでしたが、毎日楽しく、前向きに暮らしていたことを思い出します。

 私は5人きょうだいの真ん中として韓国・済州島で生まれました。4歳のとき、家族で大阪へ。生野区のコリアタウンで育ちました。

 父は工場で働いていましたが、家計は苦しく、子どもの頃の貧乏ネタは尽きません。早朝の青果市場に行き、廃棄された野菜や果物を拾ったり。鼻の骨が折れたときは診察代が払えないので、母が割り箸を私の鼻に固定して自力で治したことも。それでも悲壮感はなく、両親は清貧な暮らしを楽しんでいるようでした。

 特に母は、工夫をすることが上手でした。おさがりの服にはかわいいアップリケを付けてくれたし、拾ってきた果物でおいしいゼリーを作ってくれたことも。銭湯で、まだ残った状態で捨てられたリンスがあると持ち帰り、柔軟剤代わりに使っていました。編んだ毛糸のパンツやベストをほどき、リンスを溶かしたお湯に毛糸を浸して干すと、ふわふわになるんです。それでまた、手袋や帽子を編んでくれて。今でいう、サステナブルな生活ですよね。貧しいなかでもおしゃれ心を忘れず、おおらかで、背筋をピンと伸ばした母が大好きでした。