人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。エステー代表執行役社長(COO)の鈴木貴子さんは、女性に向けた仕事に携わりたいと、コスメ、バッグ、ファッションなどの外資系ブランドでマーケティングに携わります。その経験を叔父に買われて、エステーのデザイン改革に関わることに。外部デザイナーの登用などで社員の意識を変えます。

(1)仕事でミス連発、迷える20代
(2)「デザイン革命」のためエステーへ ←今回はココ
(3)社長の「役を演じる」で成長できる

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妹たちへ 鈴木貴子 仕事でミス連発、迷える20代


鈴木貴子
エステー 代表執行役社長(COO)
鈴木貴子 1962年、エステー化学(現・エステー)創業者・鈴木誠一の3女として東京都に生まれる。1984年に上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業後、日産自動車に入社。クラランス、LVJグループ(現・LVMH GROUP)のマーケティングなどを経て、独立。デザインコンサルティング会社を立ち上げてエステーに関わったことを機に、カリスマ経営者の叔父・鈴木喬会長のオファーを受け、2010年、エステー入社。2013年、51歳で社長就任。2018年3月期は過去最高益を達成した。

 女性に向けた仕事に携わりたい──。28歳で日産自動車を退職後、そんな思いが募っていたある日、新聞でフランスの化粧品ブランド「クラランス」のマーケティングスタッフ募集の求人広告を見つけました。もともと化粧品好きだったこともあり、応募してみたら採用に!

女性の視点で企画を考える面白さに目覚めた

 日本上陸から間もない当時の組織は小さく、6~7人のスタッフで広報、宣伝販促、店舗デザインとなんでもやりました。私も未経験ながら、百貨店のカウンターで使うテスター台や商品カタログを制作し、広告モデルのオーディションも担当しました。ファンを増やすために、ホテルのバンケットルームでお茶会兼美容講習会を企画したことも。

 それまでの与えられた役割のなかでの仕事と違い、女性の視点を生かし、新しい企画を考える仕事はとても面白かった。企画を出すとほぼ通り、実施するたびに集客も売り上げも右肩上がり。自分の仕事の結果が見えることも、モチベーションにつながりました。

「クラランスに4年間勤めた後、イタリアを代表する2つのラグジュアリーブランドに5年間勤めました」
「クラランスに4年間勤めた後、イタリアを代表する2つのラグジュアリーブランドに5年間勤めました」

 クラランスに4年間勤めた後、イタリアを代表する2つのラグジュアリーブランドに5年間勤めました。当時、ナイロンバッグが日本で爆発的に売れていたブランドでは、マーケティングPR戦略を担当していました。

 会社勤めに少し疲れて36歳で辞めた後、2年ほどフリーランスで仕事をしました。化粧品ブランドや商業施設のPR、雑誌のライターもしました。デジタル雑誌でオンラインゲームの記事を書いたこともあります。