人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。多彩なモノマネ芸が人気のタレント、清水ミチコさんの第2回。短大を卒業後、東京でバイトを続けるうちに人の縁を通じて、ラジオ番組の構成と出演をすることになります。その後、「渋谷ジァンジァン」での初ライブで永六輔さんに声を掛けられ、本格的に芸能界で活動を始めます。

(1)持って生まれた個性は武器
(2)人の縁で「趣味」が仕事に ←今回はココ
(3)年を取るほど前向きに今を楽しむ


清水ミチコ
清水ミチコ 岐阜県生まれ。文教大学女子短期大学部卒業。86年にライブデビュー。テレビやライブ、CD制作、執筆など幅広く活躍中。著書に『三人寄れば無礼講』(中央公論新社)、『顔マネ辞典』(宝島社)など。YouTubeチャンネル「清水ミチコのシミチコチャンネル」をほぼ毎週更新中。

 20代の頃、私はものすごく揺れていました。周りの人からはそうは見えなかったかもしれないけど、家に帰れば悩んでばかり。

 というのは、飛騨高山の実家から「短大も卒業したんだから帰ってくるんだよね? 家の商売継いでくれるよね?」的な発言が徐々に増えてきていたからです。

 しかしながらなんとも私は、こっち(東京)で始めたバイトが楽しくて仕方なかった。なぜなら、ものすごく人に恵まれたからです。いまだに東京の人って情が深いのにあっさりしてるなあ、と尊敬のまなざしを向けています。

 バイト先であるデリカテッセン(洋風のお総菜屋さん)のオーナーには格別に感謝しています。「清水さん、お笑いが好きだなんて、あなた素晴らしいわ!」みたいなことを本気で言ってくれるんですね。褒めてくれるんです。バイトなのに、趣味を聞いて興味まで持って、受け入れてくれる。

 それまでは、「お笑いなんて」ってカンジがどこか気持ちのはじっこにある大人がほとんどだったのですが、この方は、母親と同じような世代の女性なのに、異端児を否定しないっていうか、私みたいなもんの話を真摯によ~く聞いてくださったのです。そして、私の話にコロコロとよく笑ってくださった。彼女に尊敬と憧れもあった私は、本当にうれしかったものです。

 そのうち、その林さんというオーナーの方が、「バイトが終わったら、自宅の2階にあるピアノも好きに弾いていいですよ。どうせ誰も弾いてないから」と言ってくれるようになって、本当にカンゲキしました。

実家からはいつ戻るかと聞かれても離れがたかった東京の生活。揺れていた20代の頃
実家からはいつ戻るかと聞かれても離れがたかった東京の生活。揺れていた20代の頃