人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。多彩なモノマネ芸が人気のタレント、清水ミチコさん。小中高時代は、友人を笑わせることに喜びを感じる日々。中学の生徒会会長に立候補した先輩の応援演説を買って出て全校生徒に大ウケし、「今日のことは一生忘れない」と感動します。

(1)持って生まれた個性は武器 ←今回はココ
(2)人の縁で「趣味」が仕事に
(3)年を取るほど前向きに今を楽しむ


清水ミチコ
清水ミチコ 岐阜県生まれ。文教大学女子短期大学部卒業。86年にライブデビュー。テレビやライブ、CD制作、執筆など幅広く活躍中。著書に『三人寄れば無礼講』(中央公論新社)、『顔マネ辞典』(宝島社)など。YouTubeチャンネル「清水ミチコのシミチコチャンネル」をほぼ毎週更新中。

 小さい頃の話としてよく笑われるのは、私がまだ赤ちゃんだった頃の話です。

 ベビーチェアに座らされていたそうなのですが、私はビスケットを口にしたとたん、「それをもっとちょうだい、もっとちょうだい」と、異常に食べたがったそうです。当時、缶のビスケットは輸入品で珍しかったこともあり、母親がテーブルの手の届かない位置にビスケットを置き、ちょっとトイレなんかに行って戻ってきてテーブルの上を見たら、なんとビスケットが全部なかった、というのです。

 いったいベビーチェアにくくりつけられていたはずの赤ちゃんの私は、どうやってビスケットを食べることができたのか。

 検証してみると、自分の椅子を左右に体重移動させることで、カタ~ンカタ~ンと目標にまで進ませ、ビスケットに近づいて行き、食べていたらしいのです。「恐怖の赤ちゃん」というタイトルで、このエピソードを何度も聞かされてきました。

 この話が表すように、私の食い意地の張り方は、当時から並大抵のものではありませんでした。今では太りやすいので、かなり食べることを控えていますが、食べ物については食べに行くことだけでなく、本を読んだり、作ったり、何が好きかとか話すのも大好きです。

自分の言葉や描いた絵に親友が笑ってくれるのが幸せで、励みになっていた少女時代
自分の言葉や描いた絵に親友が笑ってくれるのが幸せで、励みになっていた少女時代