人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。ヘアメイクアップアーティストの藤原美智子さんは22歳で独立、仕事の中で成長します。バブル時代になると好きなメイクと求められるメイクのギャップから、この仕事は自分に向いていないのではと悩み始めます。
(1)雑誌記事を見てヘアメイクの道へ ←今回はココ
(2)34歳、責任ある人生のため起業
(3)いくつになっても変化を恐れない
ヘアメイクアップアーティスト、ライフスタイルデザイナー
海のそばに住む。自分で食べる野菜を自分で作る。日の出とともに起き、日の入りとともに休む──。
今、理想に近い生活を、週末だけでも送れていることを幸せに感じています。私の生活は40代から随分変わりましたが、変わっていないこともある。それは、「女性が内面から輝くメイクをしたい」という思い。40年間、その一心でヘアメイクの仕事を続けてきました。
口癖は「なんで女の子だとダメなの?」
私が女性の美に関心を持ったのは少女時代。秋田の実家は、父が薬局を、その隣で母が美容室を営んでいました。父の店でいつも気になっていたのが、資生堂のポスター。印象的なまなざしの真行寺君枝さん、元祖クールビューティーの山口小夜子さん……。シーズンごとに変わる女性は、神秘的だったり、かっこよかったりと皆さん魅力的で、私は平面のポスターを時には下から、横から、飽くことなく眺めていました。さまざまな女性像を見ていたことが、「女性の魅力はひとつではない」と知った原体験です。
性格は正義感の塊のようで、口癖は「なんで女の子だとダメなの?」。勉強でも遊びでも、2歳上の兄は許されるのに、私は「女の子だからダメ」と言われることが許せなくて。ちゃんと理由がないと納得できないタイプでした。
好奇心も旺盛で、日本舞踊に始まり、ピアノに書道、茶道にお花……と習い事もいろいろ。でも、長続きしたものは少なかった。中学校に入るとき、「バレエを習いたい」と言うと、母に「すぐやめるからダメ」と却下されて。仕方なく、バレーボール部に入部。3年生ではキャプテンを務めました。
郷ひろみさんに熱狂していた高校生のとき、私に美容室を継がせたい母の勧めで、美容師資格を取るための通信教育を受けました。そして、将来の夢も特別なかった私は高校卒業後、母に言われるままに、東京の美容専門学校へ進学したのでした。