人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。キャスティング・ディレクターで演出家の奈良橋陽子さんの2回目は、作詞家、英会話学校の設立者、ラジオのMCと、仕事の幅を広げた30代と、いよいよハリウッドに活躍の場を見つけた40代初めまでのお話です。

(1)『風と共に去りぬ』に憧れて
(2)『ラスト サムライ』を支えた ←今回はココ
(3)映画作りは私のライフワーク

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妹たちへ 奈良橋陽子 『風と共に去りぬ』に憧れて


奈良橋陽子
キャスティング・ディレクター、演出家
奈良橋陽子 ならはしようこ/1947年千葉県生まれ。外交官だった父親の仕事で5~16歳をカナダで過ごす。国際基督教大学を卒業し、演劇留学を経て帰国後、作詞家としてゴダイゴの『ガンダーラ』など多くのヒット曲を手がける。演出家としても活躍し、特攻隊を描いた『The Winds Of God』は海外でも話題に。近年はキャスティング・ディレクターとしてハリウッド映画に日本人俳優を紹介。参加した公開待機作にNetflixオリジナル映画『The Earthquake Bird』、ドラマ『GIRI/HAJI』など。

 『ガンダーラ』『モンキー・マジック』に『ビューティフル・ネーム』……。バンド「ゴダイゴ」の楽曲のヒットは、28歳から彼らの作詞担当となった私にはうれしい出来事でした。ゴダイゴは英語の歌詞が多かったので日本語が苦手な私でも書きやすく、作詞はただただ楽しかった!

 その一方で、学生時代に参加していた学生英語劇のモデル・プロダクション(MP)の演出を手がけていました。英語劇を通して大学生の英語が上達するのを目の当たりにし、早い時期から楽しく学ぶことができれば英語力はもっと身に付くかもしれないと考え、1974年に子ども向けの英会話学校「モデル・ランゲージ・スタジオ(MLS)」を太田雅一氏と共同設立。ゲームやリズムを取り入れた楽しいプログラムを我が子に試しながら作るうちに、出版社から英語教材や教科書の制作・執筆依頼が来るようになりました。そして、NHKラジオからもお声がけいただき、英語番組『ENGLISH・FOR・THE・YOUNG』のMCを74年から6年間、『百万人の英語』は、俳優で英語講師の遠山顕さんと78年から14年間担当しました。

ときには子どもを連れて舞台の稽古場へ

 舞台の演出をし、英会話学校で教材を作り、英語を教え、ラジオに出演。深夜、子どもたちを寝かせてからゴダイゴの詞を書く。時間をやりくりするため、当時は仕事場近くにアパートを借り、仕事が終わるとすぐ帰って食事を作りました。シッターさんにお願いできないときは、舞台の稽古場に子供たちを連れていったこともあります。親と子が一緒にいられる期間は意外に短いので、なるべく一緒に過ごせる時間を持つようにしていました。

 33歳でブロードウェーミュージカル『ヘアー』の日本版の演出に挑戦するなど、舞台演出の仕事が増える中、私は企画制作会社アップスを設立し、マネジメント部門も作りました。MPで出会った別所哲也さん、藤田朋子さん、川平慈英さん、故・今井雅之さんなどが所属していました。

 実はこの頃、夫と離婚。ひとりで子育てをすることになったことも、会社設立の後押しとなったように思います。