人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。今回は、多くの日本人俳優をハリウッド映画に紹介してきた、キャスティング・ディレクターで演出家の奈良橋陽子さん。5歳で役者になることを決意し、米国に留学もしますが、その夢よりも大好きな彼を選ぶまでのお話を聞きました。

(1)『風と共に去りぬ』に憧れて ←今回はココ
(2)『ラスト サムライ』を支えた
(3)映画作りは私のライフワーク

奈良橋陽子
キャスティング・ディレクター、演出家
奈良橋陽子 ならはしようこ/1947年千葉県生まれ。外交官だった父親の仕事で5~16歳をカナダで過ごす。国際基督教大学を卒業し、演劇留学を経て帰国後、作詞家としてゴダイゴの『ガンダーラ』など多くのヒット曲を手がける。演出家としても活躍し、特攻隊を描いた『The Winds Of God』は海外でも話題に。近年はキャスティング・ディレクターとしてハリウッド映画に日本人俳優を紹介。参加した公開待機作にNetflixオリジナル映画『The Earthquake Bird』、ドラマ『GIRI/HAJI』など。

 映画『ラスト サムライ』(2003)の渡辺謙さん、『バベル』(2006)の菊地凛子さん、『不屈の男 アンブロークン』(2016)のMIYAVIさん──。これまでキャスティング・ディレクターとして多くの日本人をハリウッド映画に紹介してきました。キャスティング・ディレクターは、映画監督が世界中から役者を選ぶのをサポートする仕事。日本の芸能界ではあまりなじみがありませんが、近年、ホワイトウオッシング(白人以外の役を白人俳優が演じること)への批判、日本への関心の高まりなどから、ハリウッド映画での日本人俳優の起用が増えており、オファーは絶えません。

いくつもの仕事を経験、常に「演劇やドラマが好き」

 私がこの仕事を始めたのは40代。それまで、作詞家、演出家、英会話学校の共同経営、映画監督など、肩書を意識せずに仕事をするなかで常に変わらなかったことが、「演劇やドラマが好き」ということでした。その原点は、5歳で親に連れられて見た映画『風と共に去りぬ』。幼いながらも物語の壮大な世界観に圧倒され、「役者になりたい」と思うようになりました。

 その直後、外交官の父の仕事でカナダへ。8歳離れた兄が大学進学ですぐに帰国すると、周りにいる日本人の子どもは6歳上の姉だけになりましたが、子どもの自立心や好奇心を育む両親のもと、私は明るく、自由奔放に育ちました。

 父は予定を決めない旅が好きで、母も戦前に一人でヨーロッパを旅した行動力のある人。子どもに「こうしなさい」とは言わず、「どうしたいの?」と尋ねる両親のおかげで、私は何事も自分で決める習慣が身に付いたように思います。

父は予定を決めない旅が好きで、母も戦前に一人でヨーロッパを旅した行動力のある人でした
父は予定を決めない旅が好きで、母も戦前に一人でヨーロッパを旅した行動力のある人でした

 毎日、木登りをしたり、庭で追いかけっこをしたり、乗馬や読書を楽しみました。父の影響で始めたスキーは大会に出られるまでに上達。でも、一番大好きだった遊びはお芝居ごっこでした。モントリオールの私立高校に進むと、読書量が一気に増えました。英語で文章を書くことも大好きだった。おかげで、英語の試験はいつもトップでしたが、将来の夢は変わらず「役者になる」こと。もうそれは疑いもなく、使命に近いものを感じていました。高校で、あるお芝居に参加した後、先生が私をその役名で呼ぶようになったのですが、そういったことも、演じることへの自信を膨らませてくれました。