人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。あるきっかけで「なぜ白髪を染めているのか」と疑問を感じた近藤サトさん。固定観念にとらわれず、50歳でグレイヘアにして得られたのは開放感と、より自由に生きられるという実感。グレイヘアは人生の新しい扉を開くきっかけとなりました。

(1)渋好みの少女が「TVの中の人」に
(2)「好きな仕事で勝負」42歳の転身
(3)50歳のグレイヘアがくれた自由 ←今回はココ


近藤サト
ナレーター
近藤サト こんどう・さと/1968年岐阜県生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業後、91年にフジテレビにアナウンサーとして入社。98年に退社後はフリーアナウンサーとして活動し、42歳からナレーターに。落ち着いた声質を生かし、『有吉反省会』(日本テレビ系)などのナレーションで活躍。2011年から日本大学芸術学部放送学科特任教授(非常勤)。18年に白髪を染めないスタイルでテレビ出演し、グレイヘアという選択肢を世に広めた。著書に『グレイヘアと生きる』(SBクリエイティブ)。

 2011年の東日本大震災後、非常用持ち出し袋に入れる防災用品を見直しました。必要なものを買い足し、袋に詰めようとしたとき、ふと目に留まった光景に愕然(がくぜん)としました。乾パンの隣に3本の白髪染め――。私は、防災グッズの中になんの迷いもなく、白髪染めを用意していたのです。避難所生活になった場合、白髪がばれてしまうと考えた自分に、正直、失望しました。そのとき初めて、「なぜ白髪を染めているのだろう」と疑問に感じたのです

 私は白髪が出るのが早く、20代後半から3週間ごとに白髪を染めていました。定期的に染めるのは煩わしく、そのたびに肌がかぶれるのでストレスに感じていましたが、それでも染めないという選択肢はなかった。女性なら、若く見えるほうがいい。老いの象徴である白髪は染めるもの。疑いもせず、そう思っていたのです。

 それまで「私は私」だと、固定観念にとらわれず、自由に生きてきたつもりだったのに、白髪に関しては、集団の価値観にはまっていたのだと気づきました。それから、白髪染めをやめることを考え始めたのです。

 私自身、40代半ばになり、若く見せ続けることへの疲れもあったのだと思います。顔は確実に老いているのに、髪だけ黒々としているのは不自然。若く見せようと頑張るほど、痛々しく見えてくる。更年期を経て、一人の人間としてこれからどう生きるかを考えたとき、白髪染めはもうしなくていいのかもしれないな、と。

防災用品に白髪染め。気づいたとき、なぜ白髪を染めているのだろうと疑問に思った
防災用品に白髪染め。気づいたとき、なぜ白髪を染めているのだろうと疑問に思った