人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。フジテレビを退社した近藤サトさんはフリーのアナウンサーとして活躍する一方、30代で結婚と離婚、そして再婚と出産を経験。仕事が減っていく中で自分の強みをナレーションに見いだし、転身に挑みます。

(1)渋好みの少女が「TVの中の人」に
(2)「好きな仕事で勝負」42歳の転身 ←今回はココ
(3)50歳のグレイヘアがくれた自由


近藤サト
近藤サト こんどう・さと/1968年岐阜県生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業後、91年にフジテレビにアナウンサーとして入社。98年に退社後はフリーアナウンサーとして活動し、42歳からナレーターに。落ち着いた声質を生かし、『有吉反省会』(日本テレビ系)などのナレーションで活躍。2011年から日本大学芸術学部放送学科特任教授(非常勤)。18年に白髪を染めないスタイルでテレビ出演し、グレイヘアという選択肢を世に広めた。著書に『グレイヘアと生きる』(SBクリエイティブ)。

 「女は男で出世する」。アナウンサー時代に言われて、今も強烈に印象に残っている言葉です。男性の何倍も努力をしてポジションを得るよりも、いい男を捕まえたほうが、自分のステータスは圧倒的に上がる―─。私がフジテレビの社員だった頃は、そういうことが当たり前に言われていた時代でした。

 今は、局アナもアナウンス室以外の他部署への人事異動がありますが、私たちの頃は完全なる専門職扱い。アナウンス技術を磨き、きれいな服を着て、テレビカメラの前で傍目には華やかに仕事をします。そのなかでは、今でいうセクハラやパワハラも日常茶飯事でしたが(そういう時代でした)、私も同僚もあまり気にせず、平気な顔をして乗り切っていました。女性であることをある意味で強みにしつつ男社会に入っていくので、腹をくくっている部分もありましたし、「女子アナとしての寿命は20代の間だけ」と言われても、そういうものだと分かって入社しているので、疑問を持つこともありませんでした。今振り返ると、働く女性の環境としては、非常に特殊な世界だったなと思います。

「女は男で出世する」。当時のテレビ局は、働く女性の環境としては特殊な世界だった
「女は男で出世する」。当時のテレビ局は、働く女性の環境としては特殊な世界だった