人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。料理愛好家・平野レミさんの第1回は、おてんばでガキ大将な幼少期、先生に叱られてばかりの高校時代を経て、シャンソン歌手になるまでをお届けします。

(1)期せずしてシャンソン歌手デビュー ←今回はココ
(2)和田誠さんと出会って1週間で結婚
(3)家族がおいしいと言えばそれでいい


平野レミ
料理愛好家
平野レミ ひらの・れみ/東京都生まれ。シャンソンを学び、銀座日航ホテル(当時)のミュージックサロンで歌手デビュー。1972年にイラストレーターの和田誠さんと結婚 。2人の息子の育児に専念したのち、料理愛好家として活躍。明るい性格と、「“シェフ料理”ではなく、“シュフ料理”」をモットーとしたユニークなレシピで人気に。2001年に発売した多機能鍋「レミパン」が大ヒット。料理を通した町おこし活動も話題に。近著に『家族の味』(ポプラ社)、『野菜の恩返し』(主婦の友社)

 幼い頃、私は自分のことを「たーたん」と呼んでいました。でも近所の子には、「ターザンだろ!」と言われるくらい、おてんばのガキ大将。学校から帰ると、山へ入り、木登りや隠れんぼをしたり、父の大きな長靴を履き、畑で取ったトウモロコシを長靴に隠して帰っては、庭の東屋で焼いたり。遊び相手は男の子ばかりで、日記の1人称も「俺」でした。

 父の平野威馬雄(いまお)は、フランス文学者で詩人。博識で、ウイットに富んでいて、とてもチャーミングでした。千客万来の我が家には、大学生やアメリカ人、フランス人など、父を慕う人たちがよく集っていました

 アメリカ人の祖父と日本人の祖母との間に生まれた父は、戦後、連合国軍の兵士と日本人女性との間に生まれた、いわゆる「混血児問題」に取り組んでいました。沖縄で、正当防衛で罰せられそうな子がいれば減刑を嘆願したり、母子家庭で就職差別を受けている子がいれば、うちの籍に入れて就職を世話したり。誰からの援助も受けず、父はひとりで奮闘していました。私が「皆、お父さんに甘えちゃってさ」とひねくれると、「皆、大変なんだから、優しくしてあげなさい」と言われたものです。