人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、メッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。今回は、ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー・松井さん。家業の農園を継ぎたくなくてハーバード大へ進学し、その後に続くチャンスをつかむまでを聞きました。

(1)移民の両親から学んだこと ←今回はココ 
(2)34歳でウーマノミクスの母に
(3)乳がんサバイバーの恩返し

 これまで、主に日本株のストラテジストとして仕事をしてきました。ストラテジストは、投資戦略全般について分析し、機関投資家に投資戦略を提案する専門家です。金融業界に身を置いて4半世紀以上。今では、母国アメリカで過ごした期間よりも長く、日本で暮らしています。

 私は日本人の両親のもと、アメリカで生まれ育った日系2世です。故郷はカリフォルニア州中部のサリナス。農場が広がる田舎町です。

1万円を握りしめて渡米した日系移民の父

 現在、世界最大の蘭会社を経営する父は、1961年に1万円札を握り締めて渡米。その後、母と姉が移住し、アメリカで私と二人の弟が生まれました。両親は当初、現在のシリコンバレーの農園に雇われていましたが、私が小学生の時に父が永住権を獲得。サリナスの地で独立を決意し、安定した需要が見込める菊の栽培を始めました。両親が必死に働く間、子どもたちは住まい代わりの小さなトレーラーハウスでお留守番。生活は貧しく、子どもを保育園に預ける余裕もない状況を見かねた知人が、自ら経営していた保育園に無償で通わせてくれました。

日系移民の両親はシリコンバレーの農園で必死に働き、現在は世界最大の蘭会社を経営している
日系移民の両親はシリコンバレーの農園で必死に働き、現在は世界最大の蘭会社を経営している

 松井家では、子どもが親の仕事を手伝うのは当然のことでした。私も4歳から家事を手伝い、小学5年生になると農場で働くように。菊栽培で成功した父は、その頃バラの栽培に着手、従業員は100人近くいました。私たちきょうだいは毎週末、夏休みなどは、日没まで畑仕事。花摘みや水やりなど、従業員と変わらず働きました。きつい仕事をいやいやながらも手伝ったのは、働かないとお小遣いがもらえなかったから。でも頑張った分の対価はちゃんともらえた。父からは、働くことの大切さと、「お金は空からは決して降ってこない」ことを学びました。