人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。小説家・井上荒野さんの最終回です。父と同じがんを36歳で経験し、死を覚悟します。1年後、夫と出会い結婚。「生き延びられるかもしれない」と思いはじめた頃、突然受けた小説の依頼。“最後のチャンス”に自分でも驚くほどの強さで「私は、書きたい。小説家になりたい」と思ったのでした。

(1)「何者かになる」ことを探すつらさ
(2)準備ないままデビュー、自信を喪失
(3)私にとっての「スペシャル」が小説 ←今回はココ


井上荒野
小説家
井上荒野 1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。89年「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞を受賞。執筆活動のかたわら、児童書の翻訳家としても活躍。04年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞受賞。11年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞。他に『もう切るわ』『森のなかのママ』『さようなら、猫』や、父について綴ったエッセイ『ひどい感じ 父・井上光晴』、両親と瀬戸内寂聴さんとの関係をモデルにした小説『あちらにいる鬼』など著書多数。

 36歳のとき、私はがんになった。父と同じS字結腸がんだった。

 「ということは、私もやっぱりあと3年くらいで死んじゃいますか」

 手術のあと、私は主治医に聞いた。

 「それは神様にしか分からないよ」

 というのが、主治医の答えだった。彼は母の知人でもあって、私たち家族にとっては親戚に近い間柄の人だったから、嘘をつくのは難しかったのだろうと思う。

 あ、これは、死ぬんだな。私はそう理解した。もしもそのパーセンテージがうんと低ければ、その数字を言うはずだもの。私は3年か、もしかしたらそれよりずっと早く死ぬんだな。

 あの頃の私の精神状態は、当時自分で自覚していたよりもずっとひどかったのだと思う。なぜなら私は、死んでも別にいいや、と思っていたから。仕事も恋愛もままならない、親元に寄生して、毎日ふらふらしているだけのこんな毎日が、40歳、50歳までは続かないらしいことが分かって、むしろほっとしていたから。

 とはいえ、心のどこかで、死ぬのはいやだ、生き延びたい、と私は思っていたのかもしれない。

 この辺りのことは、自分でもよく分からない。どちらが本当かというより、「生き延びたい」と「死んでもいい」は混じり合っていたのかもしれないし、それぞれのパーセンテージは、一刻一刻変動していたのかもしれない。ただ、もしも100パーセント死んでもいいと思っていたら、今、夫と暮らしていることはなかっただろうと考える。彼と知り合ったのは手術から約1年後、37歳のときだった。