人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。小説家・井上荒野さんの第2回です。大学に入学し、恋愛に熱中するものの、手痛い失恋。その後に同人誌に参加し、卒業後は書くことを仕事にし始めます。28歳で文芸誌フェミナの新人賞を受賞。しかし「二世作家」として注目され、「父のような小説を書かなければ」という焦りから次第に自信を失います。そして36歳のとき、突然の激しい腹痛。がんを患っていることが分かります。
(1)「何者かになる」ことを探すつらさ
(2)準備ないままデビュー、自信を喪失 ←今回はココ
(3)私にとっての「スペシャル」が小説
小説家
大学を受験し、大嫌いだったT学園から抜け出すことができた。大学入学の前の春休みに、中学から高校三年までずっと装着していた歯科矯正具が取れて、私は一気に開放的な気分になった。
早々に恋人ができた。初めてと言っていい恋人だったし、恋は私にとって、初めての、熱中できるものだった。
恋に付随してお酒も夜遊びも覚えたし、恋をしている間は自分が何者かであるように錯覚できた。何もしていなくても、恋人のことを思っているだけで、時間は過ぎていった。
だが、そんな娘のどこに魅力があるだろう? 18歳の終わりに、手ひどい失恋をした。ようするに彼に新しい恋人ができて、ばっさりふられたのだが、自分がそんな目に遭うなんて夢にも思っていなかったので、私は呆然とした。
そのタイミングで、同じゼミの女子学生から、小説の同人誌に参加しないかと誘われた。呆然としたまま、ついていった。同人誌のメンバーは、彼女の高校の先輩とその友人で、中央線沿線を根城にする勤労青年たちだった。高円寺の汚い飲み屋の小上がりで、たばこをモクモクふかしてホッピーを飲みながら、中上がどうしたとか大江がどうだとか、延々話し続ける男たち。私はちゃらい女子大生だったので、「うええ」と思ったのだが、失恋のダメージのせいでふらふら仲間に入ってしまった。
月に一度、合評会が行われる。私は五枚とか十枚の短い小説をどうにか書いて持っていったが、いつもくそみそにこき下ろされた。にもかかわらず、メンバーたち──今でも仲がいい──に言わせると、当時の私の態度は「ものすごく生意気」だったらしい。読書量も小説を書いた経験も、メンバーの中でいちばん未熟だったのに、いったい何を根拠にいばっていたのだろう。今思い出すと、苦笑いするしかないのだけれど、あの虚勢は私のある種の決意だったのかもしれない、という気もする。おぼろげな、まったく頼りない決意ではあったけれど。