人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。スタイリストの大草直子さんは、難関の大学付属小学校に入学。4年生の頃、いじめによる不登校を経験します。家族に支えられて乗り越え、高校では1年間の米国留学も経験。高校時代の楽しみは翌日学校へ着ていく私服のコーディネートでした。

(1)明るく活発な少女時代の「不登校」 ←今回はココ
(2)情熱注いだ雑誌の仕事を辞め、旅へ
(3)新しい家族の形、自由な生き方


大草直子
大草直子 1972 年生まれ 。大学卒業後、婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)に入社。雑誌『ヴァンテーヌ』で編集のキャリアを積んだ後、南米へ遊学。帰国後、ファッション誌、新聞、カタログを中心にスタイリングをこなす傍ら、イベント出演や執筆業にも精力的に取り組む。WEBマガジン「mi-mollet」のコンセプトディレクター。新媒体「AMARC」を主宰。近著に『大草直子のNEW BASIC STYLE』(三笠書房)。ベネズエラ人の夫と3人の子どもがある。

 小学校4年生の頃、私は私を嫌いになりました。自分で自分を認められない、愛してあげられないことの、なんとつらくて悲しいことか。きっと外から見ても分からなかった、その感情をひそかに持ち続けたまま、私は大人になるのですが、「私を嫌いになった」きっかけは、本当にささいなことでした。

 銀行員の父と専業主婦の母の長女として、東京の神楽坂に生まれました。3歳下の妹、そしてさらに5歳下の妹の、5人家族。モーレツサラリーマンだった父、おしゃれで子ども心にも美しい母、そして妹たち。時代も良かったのでしょう。何不自由なく育ちました。そして、東京一入学が難しいといわれていた大学付属の小学校に入学し、6歳という、まだまだふにゃふにゃの子ども時代に、「選抜された」「特別な」子どもたちとの、特殊な人間関係をスタートさせたのでした。

 子どもにとって、家庭と学校が生きる世界のすべて。東京のあちこちから通学してくる同級生のほかに、近所の友達はほとんどいませんでした。温かで密着した家族という確かな居場所と、ある一定の緊張感をたたえた学校との往復で、私の子ども時代は過ぎていきました。

有名大学付属小学校に入学。恵まれた家庭環境と、選抜された子ども同士による学校生活が始まった
有名大学付属小学校に入学。恵まれた家庭環境と、選抜された子ども同士による学校生活が始まった

 勉強は苦手でしたが、足が速く、明るく活発だった私は、どちらかというと目立つほうだったと思います。休み時間には、寒い日も半袖の体操着で運動場を走り回り、太陽に向かって真っすぐ伸びる若い枝のように、明るいところを目指して成長している─―そんな感覚が当時の自分にあったと思います。斜に構えるところも全くなかったので、先生との関係も良好で、ほとんど問題なく、学校生活を送っていました。

 ただし、今の姿を想像できないほど、実は「シャイで人見知り」な一面もあったので、6年間もの間、クラス替えも1度もなかったその学校での、強固で閉鎖的な環境はある意味良かったのかもしれません。けれど、その「変わらない環境」が、4年生のときに、10年しか生きていなかった私の未完成の人生を、大きく変えることになるのです。