人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。五輪メダリストで、メンタルトレーナーとして活躍する田中ウルヴェ京さんの第1回。期待のソウル五輪に出場、銅メダルを獲得するまでのやる気の源泉になったのは、「五輪なんて行けるわけない」という同級生の言葉でした。
(1)「五輪など無理」の声に奮起 ←今回はココ
(2)銅メダル後3年、あの人は今
(3)逆境で気づいた幸せの法則
五輪メダリスト・メンタルトレーニング指導士
「五輪でメダルを取って、引退後、代表コーチをして、そして今では会社経営をしながら、心理の専門家。このスムーズなキャリアチェンジの秘訣を教えてください!」
こんな質問をいただくことがある。
いやー、自分のこれまでの人生経路が、どれだけアホなものだったかを知る本人としては、「スムーズなキャリアチェンジ」なんて美しい言葉の響きは、「は? 誰のことですか?」と他人事に聞こえてしまう。ホントにスムーズだったら、実にカッコよかったと思う。
確かに、今振り返れば、なるほど見た目にはちゃんと計算してキャリアを積んできたように見えるかもしれない。事実は全然カッコ悪いのに。
大学4年の時、1988年ソウル五輪シンクロナイズドスイミング競技のデュエットで小谷実可子さんとペアを組み、銅メダルを取った。そして、五輪後21歳で引退し、20代の10年間は、日、米、仏のシンクロ代表チームコーチをしながら、アメリカの大学院で、スポーツ心理学や認知行動療法を学んだ。留学中、最初の大学院でフランス人の「ウルヴェさん」に出会い、一目ぼれをする。当時、自分は25歳。結局、4年半つきあって結婚した。
そして長男が生まれ、2001年に帰国。30代で長女が生まれる頃に起業をし、今は、心と身体の健康をテーマに3つの事業部を展開している。主なものとしては、東京・港区でのピラティススタジオ運営と、メンタルトレーナーとしての活動だ。こうやってこれまでの経路を、「時系列だけでみれば」、いかにも、スティーブ・ジョブスの言葉じゃないけれど、「人生の点と点をうまく線につなげている」感もある。今、幸せか? と聞かれれば、「ようやく」幸せだと言うだろう。